アフガン側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 21:15 UTC 版)
「第三次パーニーパットの戦い」の記事における「アフガン側」の解説
一方、アフガン王アフマド・シャー・ドゥッラーニーはマラーターに決定的な勝利を収めたが、この勝利を生かすことが出来なかった。 先述したようにアフガニスタン本国で反乱が起きたため、引き返さなくてはならなかったことである。マラーターに壊滅的な打撃を与え、北インドに支配を固めていたにもたにもかかわらず、この撤退は大きかった。ただし、アフマド・シャー自身がパンジャーブ以外に興味を持たなかったというのもある。 アフガニスタンに戻ったアフマド・シャーは反乱を鎮圧し、王国の秩序を取り戻したのち、北西インドのパンジャーブに再び侵攻したが、支配地を安定させることが出来なかった。パンジャーブは豊かな地域で、この地の富は魅力的であり、王朝の財政基盤を確保するために確保しておきたい地域であった。だが、パンジャーブではシク教徒の反抗が強く、アフガン人は多く犠牲を払ってもこの地は支配できなかった。
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