アフガン・パシュトゥン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 06:23 UTC 版)
「シアールコート」の記事における「アフガン・パシュトゥン時代」の解説
ムルターンやスワトゥから来たパシュトゥーン人豪族や、クエッタから来たカカザイ族がシアールコートを支配し、周辺山岳部はジャンムーのランジトゥ・デオ王が支配した。 1748年、グジュラート、シアールコート、パスルル、ダスカの4地区はアフガニスタン王国のアフマド・シャー・ドゥッラーニー王に割譲され、王国に編入された。 1751年以降、ドゥッラーニー王は息子のタイムルにラホールとこの4地区を支配させた。この頃ジャンムーのデオ王はシアールコートの周辺部を獲得した。
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