アッバース朝下で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 12:03 UTC 版)
「ムハンマド・タキー」の記事における「アッバース朝下で」の解説
8年間のバグダード生活ののち、ムハンマド・タキーとその妻はマディーナへと戻った。当地では、ムハンマド・タキーと妻の関係は緊張し、さらに833年のマアムーンの死去でムハンマド・タキーの運命は暗転した。義父マアムーンを襲ってカリフ職についたのは、マアムーンの義理の弟ムウタスィムであった。ムハンマド・タキーはその庇護者を失い、さらにムウタスィムのムハンマド・タキーへの悪感情も手伝って、アッバース朝との関係は悪化した。 835年、ムウタスィムはムハンマド・タキーのバグダードへの召還を命じた。これはバグダードの豪奢な宮廷生活でムハンマド・タキーが身を持ち崩すことをムゥタスィムが望んだためである。ムハンマド・タキーは、マディーナに息子アリー・ハーディーとその母を残してバグダードへと赴いた。バグダードにさらに一年間滞在することとなったが、ムハンマド・タキーはムウタスィムが期待したような影響は受けず、むしろ著名な学者として、また論者として人気を博すことになる。
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