アスレチックス~レンジャーズ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 16:05 UTC 版)
「ドック・エリス」の記事における「アスレチックス~レンジャーズ時代」の解説
1976年のシーズン終了後、エリスは「昇給が不十分であり、監督のビリー・マーチンにも干渉している」とオーナーのジョージ・スタインブレナーを公に批判し、翌シーズンの契約を結ぶことを拒否。これに頭を抱えたヤンキースは翌1977年4月27日、エリスを他の2選手と共にマイク・トーレス(英語版)とのトレードでオークランド・アスレチックスにトレードして放出した。 アスレチックスでも引き続き先発として起用されたが、ここでは不振に陥り、さらにチームが彼にアドバイスとして投球チャートをつけるよう助言したところ、これに反抗したエリスはクラブハウスでチャートを燃やしスプリンクラーを作動させる騒ぎを起こす。結果、エリスは1ヶ月少々でアスレチックスからも放出され、テキサス・レンジャーズへと移籍した。 最終的に1977年シーズンはレンジャーズでプレーし、移籍後は23試合に登板して10勝6敗、防御率2.90の成績を残した。 1978年は22試合に登板して9勝7敗、防御率4.20の成績を残したが、この年もチームの移動中のアルコール摂取の方針を巡って監督のビリー・ハンター(英語版)といざこざを起こす。しかし、この時はチームのオーナーがエリスに味方し、逆にこの年のシーズン終了後にハンターが解任される結果になった。 1979年も先発投手として起用されたが、10試合に登板して1勝5敗、防御率5.98の成績だった。
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