アジア集団安全保障構想とは? わかりやすく解説

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アジア集団安全保障構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/05 10:09 UTC 版)

アジア集団安全保障構想(アジアしゅうだんあんぜんほしょうこうそう、英語: idea of collective security in Asia)は、冷戦期にソ連レオニード・ブレジネフ共産党書記長が示した、アジア地域における集団安全保障の構想である[1][2]

歴史

1969年6月7日にモスクワで開催された世界共産党・労働者会議において、ブレジネフ書記長によって提唱された[1][2]。この会議の時点では具体的な内容は言及されなかったが、その後1972年3月の第15回全ソ労働組合大会において、ブレジネフ書記長は「アジアの集団安全保障の基礎となるべきもの」として、武力行使の放棄、主権の尊重と国境の不可侵、内政不干渉、平等・互恵に基づく経済、その他協力関係の発展の5原則を列挙した[1][2][3]。さらに1973年8月には、アレクセイ・コスイギン首相により民族自決、領土併合の禁止、国際紛争の平和的解決、天然資源に対する主権尊重、社会・経済的変革の権利が追加された[2]

この構想は、ソ連が敵対していたアメリカおよび中国を念頭に、アジア地域から両国の影響力を弱めようとするものであった[4]。また、構想が提唱されたのは1968年のソ連によるチェコスロヴァキアへの軍事侵攻や、1969年3月から始まったソ連軍と中国軍が武力衝突した中ソ国境紛争で中ソ関係が最悪となっていた真っ最中のことであり、ソ連は「当然、中国の参加も呼び掛けている」と弁明していたものの、発表直後から中国によって「中国包囲の軍事同盟を企図するもの」として激しく反発された[1][5]。また、ソ連の発表では「モンゴルインドバングラデシュネパールスリランカマレーシアインドネシアアフガニスタンイラクイランシリアを含む多くのアジア諸国の指導者」が構想を支持したとされたものの、実際に公式文書で支持を表明したのはモンゴルとアフガニスタンのみで、ほかにインドがあいまいに表明したにとどまった[5]。無視や拒否という反応をとる国も多く、全体的にはアジア各国の積極的な反応とはいえなかった[1][6]。日本も1972年に、佐藤栄作首相が中国の包囲を狙う構想であるとして反対を表明している[1]

1971年の印ソ平和友好協力条約の締結やフィリピンとの融和などのアジア外交成功を背景に、1972年ごろから積極的に構想を打ち出したソ連であったが、これらアジア諸国からの反応を受けて、1976年前後には構想に対する姿勢に後退が見られた[3][6]。ただしその後も、中越戦争を背景にベトナムソ越友好協力条約を締結し、ASEANとも接近するなど、引き続きアジア諸国への影響力拡大に努めている[6]

結局本構想は実現には至らなかったものの、1986年にもミハイル・ゴルバチョフ書記長がウラジオストック演説のなかで太平洋に面する諸国の集団安全保障構想を提起している[2]

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f 防衛学会 編『国防用語辞典』朝雲新聞社、1980年12月10日、2頁。doi:10.11501/11893733 
  2. ^ a b c d e アジア集団安全保障構想”. コトバンク. 2025年10月24日閲覧。
  3. ^ a b 『朝日新聞の重要紙面でみる1972年(昭和47年)』朝日新聞社、1973年2月15日、65-66,109頁。doi:10.11501/12227257 
  4. ^ 小澤治子「ペレストロイカとソ連のアジア・太平洋観」『ロシア研究』第18巻、日本国際問題研究所、1994年3月、41-54頁、doi:10.11501/2885819 
  5. ^ a b 木村哲三郎 編『インドシナ三国の国家建設の構図』アジア経済研究所、1984年3月、218-220頁。doi:10.11501/12183132 
  6. ^ a b c 近藤重克「東南アジアにおける中ソの動向」『新防衛論集』第6巻第4号、防衛学会、1979年3月、60-78頁、doi:10.11501/2824789 

関連項目




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