アイマラ諸王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 23:41 UTC 版)
いずれにせよ、歴史上、確実にアイマラ族がチチカカ湖沿岸に現れるのは、ティワナク社会崩壊後の紀元後13世紀頃からである。チチカカ湖周辺はかつて、ウルコスーユ (Urcosuyu) と呼ばれていた。この時期には、アイマラ諸王国(ルパカ、パカヘ、コリャなど)がチチカカ湖沿岸に割拠していたといわれている。 やがて彼らが現在のペルー領にルパカ王国 (Lupaqa) を、ボリビア領にパカヘ王国 (Paqaje) などのアイマラ諸王国(スペイン語版)を築いたという説がある。このルパカ王国は、在来のウルあるいはプキーナ語族の人々を圧迫し、チチカカ湖沿岸を支配するに至ったという説がある。ただし、コリャ王国(スペイン語版)に関しては、ウル-プキーナ語族系統という説もある。しかし、これらの記録は、インカ帝国崩壊後の、スペイン人征服者たちの記録によるものであり、内容は整合性を持たない部分も多い。 彼らアイマラ諸王国は、現在のペルー南部の河谷、モケグワ川などに飛び地を持っていたことが、スペイン人による記録文書に記されている。現在ではチリ領になった地域にも飛び地があったため、現在では本拠地のアルティプラーノとは分断されてしまったところもある。同時に、コチャバンバにも飛び地を持っていたらしい。飛び地では、アルティプラーノでは栽培できない植物、たとえばトウモロコシやコカなどを育て、さらに樹木も伐採していたらしいことがスペイン人によって記録されている。
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