やさしい狼犬部隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/02 05:36 UTC 版)
| やさしい狼犬部隊 | |
|---|---|
| Three Stripes in the Sun | |
| 監督 | リチャード・マーフィー |
| 脚本 | リチャード・マーフィー アルバート・ダフィ(脚色) |
| 原作 | E・J・カーン・Jr 『A Reporter at Large--The Gentle Wolfhound』[1] |
| 製作 | フレッド・コールマー |
| 出演者 | アルド・レイ フィリップ・キャリー ディック・ヨーク |
| 音楽 | ジョージ・ダニング |
| 撮影 | バーネット・ガフィ |
| 編集 | チャールズ・ネルソン |
| 製作会社 | コロムビア映画 |
| 配給 | |
| 公開 | |
| 上映時間 | 93分 |
| 製作国 | |
| 言語 | 英語 |
『やさしい狼犬部隊』(やさしいろうけんぶたい、Three Stripes in the Sun)は、1955年のアメリカ合衆国の戦争ドラマ映画。脚本家リチャード・マーフィーの初監督作品で[2]、出演はアルド・レイ、フィル・ケリー、ディック・ヨークなど。大阪市東住吉区の聖家族の家にまつわる実話をもとにした、E・J・カーン・Jrによる「ザ・ニューヨーカー」掲載小説を原作としている[3]。
ストーリー
大阪に駐屯する米陸軍歩兵第27連隊(狼犬部隊)のヒュー・オライリー軍曹とネビィ伍長は、キャンプ大津勤務となった。大津でオライリー軍曹は、ある日財布を失くし、その財布を拾った孤児院を運営する吉田神父と知り合う。オライリー軍曹は通訳のユウコと吉田神父を大阪市東住吉区の孤児院まで送り、粗末な建物と食事の孤児院を目の当たりにする。以来、オライリー軍曹は度々孤児院に食料を届けたり、孤児院建物建設のために同僚から募金を集めた。大佐に見つかるが、米軍の任務でないことから、建設は日本の建設業者を使うことにより建設に従事することを許される。オライリー軍曹はユウコとともに孤児院建設に奔走し、互いの理解を深めていったが、建設資金集めの慈善野球試合の日に2人は喧嘩をしてしまい、そのまま、オライリー軍曹は朝鮮戦争に参加することになる。しかしオライリー軍曹は朝鮮戦線で負傷し、日本に戻ってくる。その後、孤児院は完成し、記念の式典にオライリー軍曹も招待される。帰国が迫るオライリー軍曹はユウコと結婚する固い決意をユウコに伝える。
キャスト
- ヒュー・オライリー軍曹: アルド・レイ
- ウィリアム・シェパード大佐: フィル・ケリー
- ネビィ・ミューレンドルフ伍長: ディック・ヨーク
- アイダホ・ジョンソン: チャック・コナーズ
- 吉田神父: 大川平八郎(ヘンリー大川)
- ユウコの父: 斎藤達雄
- ユウコ: 木村三津子
- サツミ: 中村玉緒
ロケ地
- 大阪駅(3代目駅舎)
- 旧陸軍第四師団司令部庁舎(旧大阪市立博物館、現ミライザ大阪城)
- 鶴ケ丘駅(阪和線)近くの踏切
- オライリー軍曹、ユウコ、吉田神父がジープに乗って踏切待ちをするシーン。「鶴ケ丘市場」や「鶴ヶ丘幼稚園」と書かれた看板が映る。
- 住吉大社
- 前をオライリー軍曹、ユウコ、吉田神父が乗ったジープが走る
- 長居公園・大阪競馬場
- 旧孤児院のバラックが建ち並ぶ。
- 西京極球場
- 毎日オリオンズとウルフハンド部隊(狼犬部隊)チームの慈善野球試合が行われる。
- 聖家族の家
- 中庭にある石碑が映る。完成の記念式典のシーンもある。
- 碧雲荘
- 平安神宮
モデルとなった実話
アメリカ陸軍ヒュー・オライリー軍曹長(1914-2006[4])は1949年のクリスマスに大阪の児童養護施設「聖家族の家」を訪問し、子供たちの惨状を見かねて支援を始めた[5]。オライリーが所属する第25歩兵師団第27歩兵連隊は、第一次大戦中に連合国遠征部隊として出兵したシベリアでの勇敢な戦いぶりから「ウルフハウンズ(狼犬)」という異名を持ち[6]、オライリーは同連隊の広報官として日本に駐留していた[5]。彼は当初は日本に対して悪感情を抱いていたが、子供たちとの交流を通じて考えを新たにし、給料日には連隊内で募金を集め、休日にはウルフハウンズの仲間たちと施設を訪問した[5]。オライリーは1951年に異動になったが、支援活動はウルフハウンズの伝統として続き、1955年には本作として映画化された(原題のthree stripesはオライリーの階級章である三本線の意)[5][6]。
オライリーは大阪出身の日本人女性・侑子(1930-2018[4])と結婚し、朝鮮戦争後は連隊駐屯地のハワイのスコフィールドバラックスに暮らし、1957年には連隊が子供たちをハワイに招待、翌年は隊員がサンタクロースとして施設を訪れるなど、交流はその後も続いた[5]。1992年からは日本人篤志家から多額の援助を受け、オライリーの没後も、ウルフハインズの母と呼ばれた妻の侑子が中心となって「ピース・ブリッジ」財団がその活動を引き継ぎだ[5][7]。約70年間でウルフハウンズによる寄付金は2億2000万円にのぼり、177人の子どもをハワイに招待し、116人の子どもが国際養子縁組により渡米した[5]。
出典
- ^ Kahn, E. J. (1953年5月9日). “A Reporter at Large--The Gentle Wolfhound” (英語). The New Yorker 2021年3月2日閲覧。
- ^ a b “やさしい狼犬部隊”. 映画.com. 2025年11月2日閲覧。
- ^ “狼犬部隊”. 聖家族の家. 2021年3月2日閲覧。
- ^ a b “Hugh Francis O'Reilly” (英語). Find a Grave. 2025年11月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g “70年にわたり大阪の子どもを支援した「やさしい狼犬部隊」”. アメリカン・ビュー. アメリカ大使館 (2020年4月10日). 2020年4月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月2日閲覧。
- ^ a b 「米兵と70年交流…「高い高い」うれしかった 児童養護施設にいた女性を訪ねて」『産経新聞関西版』2016年4月5日。2025年11月2日閲覧。
- ^ “Our Story” (英語). Peace Bridge. 2025年11月2日閲覧。
外部リンク
固有名詞の分類
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