明鏡止水
明鏡止水(めいきょうしすい)とは、くもりのない鏡と静かにたたえた水の意で、心に邪念ややましさがなく、落ち着き払っている状態をいう言葉である。「めいけいしすい」ともいう。
典拠は『荘子』徳充符の一節「人莫鑑於流水、而鑑於止水」(人は流水を鏡とせず、止まっている水を鏡とする)および「鑑明則塵垢不止」(鏡にくもりがないのは、塵やごみがつかないからだ)である。
また、『淮南子』俶真訓には、『荘子』と同旨の「人莫鑑於流沫、而鑑於止水者、以其静也。莫窺形於生鉄、而窺於明鏡者、以其易也」(人が流水を鏡とせず、止まっている水を鏡とするのは、それが静かだからだ。生鉄に姿を映さず、くもりのない鏡に映すのは、それが平らかだからだ)という一節がある。
1989年7月、宇野宗佑首相が退任会見において発言した「明鏡止水の心境であります」は世相語となった。
類義語に「虚心坦懐」があるが、「虚心坦懐」は先入観のないことを含意し、「虚心坦懐に話し合う」などと用いる一方、「明鏡止水」は単に心が落ち着いている状態をいう。また、「虚心坦懐」は形容動詞としても用いるが、「明鏡止水」は形容動詞にはならない。
例文:「明鏡止水の境地」「明鏡止水の心境に達する」「明鏡止水のように心を澄ます」
関連サイト:
莊子/德充符 - 維基文庫
淮南子/俶真訓 - 維基文庫
(執筆:稲川智樹)
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