むら時雨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
題しらずまだなれぬ 板屋の軒の 村時雨 音を聞にも 濡るゝ袖かな(大意:まだ住み慣れない板葺きの粗末な館で、時折激しく軒を打つ時雨の音を聞くと、物悲しさから涙で袖が濡れてくることよ。藤原資忠が庵で時雨の音に袖を濡らしたのは、旅の中の一夜に過ぎないが、私はいつまでこの館に幽閉されて、涙を流し続けることになるのだろうか?) —後醍醐天皇御製、『新葉和歌集』雑上・1119、『増鏡』「むら時雨」、『太平記』巻3 鎌倉幕府との戦いである 元弘の乱の初戦の笠置山の戦いに敗北して捕縛された後醍醐天皇は、元弘元年/元徳3年(1331年)10月初頭、大勢の武士に囲まれて入京し、六波羅探題の南側にある、板葺きのみすぼらしい館に幽閉された(『増鏡』『花園天皇宸記』)。『増鏡』によれば、この歌はその幽閉中に詠まれた和歌であるという。『増鏡』「むら時雨」の巻名は、この和歌に由来する。
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