なぜ「善い」は定義できないのか。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 17:32 UTC 版)
「自然主義的誤謬」の記事における「なぜ「善い」は定義できないのか。」の解説
ムーアは、定義とは複合概念を単純概念の組み合わせにおき直すことだとした上で、「善い」は単純概念だからこの意味での定義のしようがない、と論じる。 これは「善い」に限らず、「黄色い」でも同じことであり、「黄色い」を定義しようとする人も自然主義的誤謬と同質の誤りを犯していることになる。 自然主義的誤謬はしばしば「「である」から「べし」は導けない」というヒュームの法則と同一視されるが、これもまたムーアの意図と違っているということが「黄色い」との対比からも明らかである。 自然主義的誤謬の概念を武器に、ムーアはスペンサーの進化倫理学やジョン・スチュアート・ミルの功利主義(以上は自然主義的倫理の例)カントの倫理学(これは形而上学的倫理の例)などを批判する。 ムーア自身の立場は、「善い」は直観によってのみ捉えることができる性質である、という直観主義であった。 自然主義が「善い」と経験的対象の関係を定義的な関係だととらえ、「Xは善い」という命題が(ある種のXに対して)分析的な命題となると考えるのに対し、直観主義においては、「Xは善い」という命題は常に総合的な命題である。
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