里見義豊とは? わかりやすく解説

里見義豊(さとみ よしとよ) 1513~1534

竹若丸 太郎 左馬頭
◇父:里見上総介義通 室:烏山左近大夫貞女中里備中端女小倉民部定光女 子里見義員小倉豊前守貞通
 父の遺言により、幼少の頃叔父実堯が実権を握る。やがて家督相続し、実堯後見の下政治を行うが、やがてこれと対立する1533年稲村城に実堯らを誘い込み自害させる。以後上総武田信保の協力で、国内秩序回復努める。しかし、相模・北条氏綱と組み安房大部分国人味方につけた、実堯の子義堯1534年滝田犬掛戦い敗北稲村城に籠もるが、防ぎきれず自害した鎌倉禅僧等と交流持ち文武秀でていたという。




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