大道寺周勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/05/17 05:07 UTC 版)
|
|
|
|---|---|
| 時代 | 戦国時代 |
| 生誕 | 不明 |
| 死没 | 不明 |
| 別名 | 通称:源六、駿河守 |
| 主君 | 北条氏康 |
| 氏族 | 大道寺氏 |
| 父母 | 父:大道寺盛昌 |
| 兄弟 | 資親 |
| 子 | 源六 |
生涯
天文17年(1548年)8月に父・盛昌が建長寺へ宛てた書状の添状発給者として見えるのが史料上の初見となり、この時には盛昌の嫡子となっていたと推定される[1]。
天文19年(1550年)もしくは20年(1551年)7月12日に盛昌が亡くなると家督を継承し、父に引き続き鎌倉代官と河越城代、深谷上杉氏への指南を務めた[2]。
永禄2年(1559年)の『小田原衆所領役帳』では、河越衆筆頭として所領2,000貫文余を領している[1]。
上杉謙信による侵攻を受けた永禄4年(1561年)の4月を最後に河越城代としての活動が確認できず、その後間もなく死去した可能性が考えられる。嫡子・源六も確認できず、永禄6年(1563年)3月に周勝の弟とみられる資親が家督を継いだ[3]。
脚注
参考文献
- 黒田基樹『戦国関東覇権史 北条氏康の家臣団』KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、2021年。ISBN 978-4-04-400668-6。
- 黒田基樹『増補改訂 戦国北条家一族事典』戎光祥出版、2024年。 ISBN 978-4-86403-496-8。
固有名詞の分類
- 大道寺周勝のページへのリンク