大道寺一経
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/18 02:56 UTC 版)
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時代 | 江戸時代 |
生誕 | 享保17年(1732年) |
死没 | 寛政7年6月8日(1795年7月23日) |
別名 | 隼人、族之助、自得軒、遯翁 |
墓所 | 弘前市耕春山宗徳寺 |
藩 | 弘前藩 |
氏族 | 大道寺氏 |
父母 | 父:繁糺 |
子 | 繁殖 |
大道寺 一経(だいどうじ かずつね)は、江戸時代中期の弘前藩の武士。
生涯
享保21年(1736年)、家督1600石を継いだ。明和7年(1770年)には城代になった。当時、弘前藩の財政は非常に困窮していた。一経は家禄の少ない下級武士に自らの家禄を分け与えることを進言し、その結果、半知召し上げとなった。そのため、世間の人間は大いに一経を称賛した。安永元年(1772年)、隠居した。その後は俳人として過ごした。
参考文献
- 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社
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