斎藤秀龍(さいとう ひでたつ) 1494~1556
◇父:松波左近将監基宗?長井新左衛門尉? 室:明智駿河守光継女、稲葉良通姉、織田信秀女 子:長井道利?、斎藤義龍、孫四郎龍元、喜平次龍之、玄蕃助利堯、新五利興 養子:斎藤正義
最初、京都二条・妙覚寺の小僧であったが、ある日突然姿を消す。その後、京の油売商人として行商していたが、つてを頼って美濃守護・土岐氏一族頼芸家臣となる。土岐氏当主政頼を攻めて放逐し、頼芸を当主につけて、家中の実権を握り、その頭角を現していった。1527年長井利安を殺害して小守護代、1538年には病没した守護代斎藤利良の跡を襲姓。また、当主頼芸と折合が悪くなると、これも放逐し、美濃の国主と成り上がった。そのやり口、無類の合戦上手から“美濃の蝮”と呼ばれる。その後、越前・朝倉氏、尾張・織田氏らと戦いを続けていたが、最期は不和となった長子義龍と長良川で戦い敗死した。
- さいとうひでたつのページへのリンク