かぐや姫のモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:38 UTC 版)
『竹取物語』のかぐや姫のモデルとして、『古事記』に垂仁天皇の妃として記載される、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)の娘「迦具夜比売命」(かぐやひめのみこと)を挙げる説がある。この大筒木垂根王の弟に「讃岐垂根王」(さぬきたりねのみこ)がいる。『古事記』によるとこの兄弟は、開化天皇が丹波の大県主・由碁理(ゆごり)の娘「竹野比売」(たかのひめ)を召して生まれた比古由牟須美王(ひこゆむすみのみこ)を父としており、「竹」との関連が深い。『日本書紀』には開化天皇妃の「丹波竹野媛」の他、垂仁天皇の後宮に入るべく丹波から召し出された5人の姫のうち「竹野媛」だけが国に帰されたという記述がある。 他にモデルとして、賀茂建角身命の子孫で馬岐耳乃命または伊志麻命の娘である賀具夜媛命などを挙げる説がある。 また、イラン史研究者の孫崎紀子は、百済の善光王や、675年正月に天武天皇に拝謁した吐火羅国人(サーサーン朝ペルシア人)の舎衞女とダラ女とする説を出している。
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