『VULGAR』以降 〜 欧米進出
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「DIR EN GREY」の記事における「『VULGAR』以降 〜 欧米進出」の解説
02年の「Child prey」『six Ugly』でその兆しを見せていたが、03年発表のアルバム『VULGAR』でヘヴィロックへ大幅に接近。音楽性を大きく変化させた。 音楽性の変化とともに海外からの注目度も増し、05年のアルバム『Withering to death.』はドイツでチャート7位、フィンランドでは欧米のアーティスト以外で初めてチャートにランク(順位:31位)されるという快挙を記録した。 現地からのオファーに応え、2005年5月にベルリンで初の欧州単独公演を行い3,500人を収容の会場を完売。過度の興奮に陥ったファンが続出し、警察/消防も出動。翌日の地元紙はこの“事件”を大々的に扱った。その後欧州最大級のロックフェスティバル「Rock am Ring」「Rock im park」、「OCTOPUS ROCK FESTIVAL」への出演を果たす。 帰国後には単独ツアーの合間を縫い「Taste Of Chaos Tour Japan 2005」へ参加。THE USEDやKILLSWITCH ENGAGEらと共演する。 この頃よりメンバー全員がノーメイクで活動するようになる。
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