『ELLE』編集長
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「フランソワーズ・ジルー」の記事における「『ELLE』編集長」の解説
『フランス・ソワール(フランス語版)』の編集長ピエール・ラザレフ(フランス語版)の妻エレーヌ・ラザレフ(フランス語版)は第二次大戦中にニューヨークに亡命し、米国の雑誌社で仕事をした経験から、1945年に『ヴォーグ』誌など米国のファッション雑誌のスタイルを取り入れた雑誌『ELLE』を創刊。1946年、ジルーを編集長に任命した。当時、同誌は「流行」を紹介するだけでなく、ホームレスの問題、アベ・ピエールの慈善活動、離婚や人工妊娠中絶などの時事問題も取り上げており、ジルーは女性読者に参政権の行使や就労を呼びかけ、アベ・ピエールや作家・フェミニズム活動家のブノワット・グルー(フランス語版)に寄稿を求めるなど、同誌を通じて社会問題に積極的に取り組んだ。
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