『風俗画報』の報道画家・山本松谷
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「山本昇雲」の記事における「『風俗画報』の報道画家・山本松谷」の解説
明治27年(1894年)、東陽堂のグラフ雑誌『風俗画報』に投稿した「土佐国早乙女図」が編集長の山下重民の目にとまり、『風俗画報』第73号に掲載され、東陽堂の絵画部員として入社。以降毎号のように、「山本松谷」の名義で、『風俗画報』に石版画の挿絵を描くようになった。当時の『風俗画報』の口絵や挿絵は今の報道写真に当たる意味があり、同僚に小林永濯、川崎千虎、尾形月耕、富岡永洗、久保田金僊らがいる。これに並行して、明治29年(1996年)9月から明治42年(1909年)3月まで全64編が出版された『風俗画報』の臨時増刊で、江戸時代の名著『江戸名所図会』になぞらえた『新撰東京名所図会』の挿絵により、石版画家としての名声は高まり、表紙、口絵、挿絵などおよそ1300点を描き、報道画家としてその名を知られるようになる。
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