『徒然草』第83段の逸話
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「洞院実泰」の記事における「『徒然草』第83段の逸話」の解説
『徒然草』第83段に実泰は登場する。太政大臣になれるのに敢えて左大臣止まりを選んだという西園寺公衡に関心して、自身も太政大臣への昇進を望まなかった、というのである。何事も上り詰めるのは良くない、と2人の左大臣を例に兼好は関心しているのである。しかし、この2人の左大臣が太政大臣への昇進を自ら望まなかったというのは彼らの本心であったであろうか。本郷和人の言うように、西園寺家がどちらかというと持明院統派であり、公衡はしばしば大覚寺統と衝突したために太政大臣に昇進できなかったとすれば少々事情は異なってくるのである。後宇多天皇とは従兄弟同士、後二条天皇の母西華門院基子ともいとことなる実泰は大覚寺統派という見方もあるようだが、一方で京極派歌人としての側面も見られ、『玉葉和歌集』には「左大将実泰」として和歌が入首している。
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