「性善説」の必要性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 16:10 UTC 版)
これを簡単に理想主義的なオプティミズムとして片づけることはできない。孟子は何も戦国時代において頻発する戦争や収奪に眼を向けずにただ楽天的だったのではない。覇道がはびこる現実を踏まえつつも、孟子は王道思想を掲げたのであるが、「性善説」はいかなる君主であっても徳治に基づく王道政治を行うことが可能であることを言明するために、道徳的要請から提示された主張であった。諸国遊説において、孟子が君主に王道政治を説いても、そのような政治は聖人しか行えないのではないかという冷ややかな対応に出くわすことが多かった。孟子としては、王道政治実現の可能性の根拠を提示する必要があったのである。よりいえば「性は善であるべき」という説が、王道思想のための必要性から「性は善である」という風に変化させられたと言える。
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