「姉小路家」奪取・朝廷正式(許可)継承
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永禄2年(1559年)10月、自綱は姉小路一族であると朝廷から認められ、翌永禄3年(1560年)に良頼は従四位下、自綱は従五位下左衛門佐に叙任され、古川姉小路家の名跡の継承も許された。 永禄5年(1562年)2月、良頼は従三位となった。この間の周旋に努めてきた関白近衛前嗣から偏諱を賜って姉小路嗣頼と名乗り、同時に自綱も姉小路頼綱と名を改めた。同年12月、嗣頼はさらに中納言任官を将軍義輝と前嗣に働きかけたが、これは正親町天皇に拒否され叶わなかったものの、以後は中納言を勝手に名乗った。他方で永禄6年(1563年)3月に頼綱は侍従に任ぜられた。こちらは正式の任官である。
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