「始皇帝陵」としての「驪山」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:59 UTC 版)
「驪山」の記事における「「始皇帝陵」としての「驪山」」の解説
始皇帝が埋葬された場所も、史料によって文字が異なるが、「驪山」と呼ばれていた。現在は始皇帝陵と呼ばれているが、この名称は漢代以降になってからのことである。始皇帝陵は驪山の北麓にあるが、西北麓の地域には始皇帝の父である荘襄王や曾祖父の昭襄王の墳丘の他、漢代皇帝の陵墓が存在している。 驪山に関する具体的な記録に関しては『水経注』によると、「驪山の北は金を産出し、南は玉を産出する」とあり、『漢書』地理志では、驪山の南、藍田谷で美玉を産出するという記録などがある。 『史記』:驪山(驪山は自然の山) 『漢書』:驪山 秦代(同時代)の出土資料:麗山園・麗山邑・麗邑
※この「「始皇帝陵」としての「驪山」」の解説は、「驪山」の解説の一部です。
「「始皇帝陵」としての「驪山」」を含む「驪山」の記事については、「驪山」の概要を参照ください。
- 「始皇帝陵」としての「驪山」のページへのリンク