「天保銭」以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 00:28 UTC 版)
上法快男『陸軍大学校』によると、1885年(明治18年)12月に陸大1期が卒業するに先立って「陸軍参謀官適任証書所有徽章」(出典ママ)が制定され、小坂千尋に第1号が授与され、第2号以降は陸大1期卒業者に授与されたという。 黒野耐も同様のことを述べており、この「陸軍参謀官適任証書所有徽章」(出典ママ)が、いわゆる「天保銭」、すなわち陸軍大学校卒業徽章だとする。ただし、1882年(明治15年)11月13日付の「陸軍大学校条例」には「第14条 卒業試験に於て及第する者には参謀職務適任証書を授与し原隊 隊外は原所管 に復帰せしむ」と、卒業者全員に参謀職務適任証書を授与する制度が規定されているのみである。また1886年(明治19年)12月2日に陸軍大学校条例が改訂された際の書類には、改訂前の陸軍大学校条例の条文(17年6月陸軍省達と記載)が収録されているが、第14条は明治15年時点の条文と同一であり、明治18年に「陸軍参謀官適任証書所有徽章」を授与する制度が存在した形跡はない。 1886年(明治19年)12月に「陸軍大学校条例」が改訂され、「第13条 卒業試験に於て及第する者には卒業を表章するための徽章を授与し其優等のものには更に参謀職務適任証書を与え原隊 隊外は原所管 に復帰せしむ」と規定され、卒業者全員に徽章を授与し、優秀者のみに、加えて参謀職務適任証書を授与する制度に変更された。ただし、この徽章は、金色の星型徽章を2個授与され、軍服の詰襟の両側に1個ずつ装着するものであり、いわゆる「天保銭」とは異なっていた。この年の12月28日に卒業した2期(9名)のうち、参謀職務適任証書を授与されたのは5名であった(うち3名は恩賜の望遠鏡を拝受)。
※この「「天保銭」以前」の解説は、「陸軍大学校」の解説の一部です。
「「天保銭」以前」を含む「陸軍大学校」の記事については、「陸軍大学校」の概要を参照ください。
- 「天保銭」以前のページへのリンク