部落の起源論争 古代起源説

部落の起源論争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 04:35 UTC 版)

古代起源説

古代の賎民身分である五色の賤に近世以降の被差別民の起源を求める説である。

松本治一郎の、「貴族あるところ賎族あり」「部落民へのいわれの無い差別を生んだ物は皇族へのいわれの無い敬意に他ならない」といった発言などから、天皇制の確立なかんずく大和朝廷による異民族制圧が賎民層の起源である、と言う考えもその一種とみることができる。部落の中には、松本の「神武と戦った」の他、「鬼の子孫」などの伝承が残る部落も少なくないが、とは一般的には縄文人の子孫あるいは蝦夷といった異民族を指すというのが今日の見方である[要出典]

なお,在野の民俗学研究者の菊池山哉は『穢多族に関する研究』(1912年・発禁本)で異民族起源説を唱え、『日本の特殊部落』(東京史談会・1961年)において、全国約215カ所の「別所」を大和王権による俘囚の移配地と見て、別所を起源の一つとする説を提唱した。「朝廷勢力と戦い続けた古代東北の蝦夷が強制的に移住させられて賎民にされた。被差別部落のルーツの一つは古代東北の蝦夷である」とする菊池説は歴史学や民俗学の専門家から黙殺されたが、1990年代から再評価する動きが出てきた。「別所」の俘囚移配地説について柴田弘武が『鉄と俘囚の古代史』(彩流社・1989年)などの研究を行っている。柴田はさらに約300カ所の別所を析出し、計約500カ所の別所を検討した結果、「菊池の説は動かし難いと思う」と述べている。少なくとも被差別部落の一部は別所を起源とするとの見方がある。

大阪大学教授の小浜基次(人類学者)が西日本の被差別部落を広島辺りまで調査したところ、西日本の一般民は朝鮮半島に多い短頭型であるのに対し、被差別部落民の頭型は東北や裏日本に多い中頭型であることが判明したという[7]

また、被差別部落の側から書かれた高橋貞樹『特殊部落一千年史』(更生閣・1924)は、「古代の被征服民にして賤業を課せられた奴隷が、時代の経過とともに一定特殊の社会群に変じ、さらに賤業を営むものが穢多族であるという観念に変わったものであろう」(岩波文庫・1992として再刊)としている。

異民族(異人種)起源説

前述の古代起源説と同じ又はその一種であり、洋の東西を問わずアウトカーストの発生の大本は異民族ないし異人種間の征服・被征服に端を発するという、一般的な賤民史の範疇において捉えるものであるが、被差別民は渡来人であるとする説と、被差別民の方が先住民であるとする説とに分かれる。

古くは、鎌倉時代の辞書である『塵袋』が、エタは旃陀羅、すなわち狩猟文化と密接な関係を持つ異民族[要出典]としている。また、江戸時代、鎖国下で日本を清浄な地とし、そこから離れるほど穢れた地になるという思想を持つ国学が流行する中で、穢れた存在である部落民のルーツは朝鮮、中国、アイヌなど日本民族外にあるとする説が生まれた。

この説は、部落解放の父と呼ばれた松本治一郎から「我々の起源は神武時代である。神武が南方に於て戦に負けて逃げて九州に流れ着いた。九州の先住民よりも武器が優秀である。神武の画を御覧なさい。長いをさし、を持って居ります。……我々の先祖は征服された」[8] と支持された。高橋貞樹などもこの立場を採る。一方神武天皇が南方で負けたとする記述は史書に見当たらず、それを証明する考古遺物も存在しない。

1885年、東京人類学会の会員であった箕作源八が「穢多ノ風俗」について各地の報告を求め、各地からの被差別部落民にかんする伝承や関係文献 が集まったが、その多くは、被差別部落民を日本人とは異なる「人種」として捉え、その起源について論じるものであった[9]

その後、人類学者・鳥居龍蔵は、1890年代に、東京・関西・四国等の被差別部落の人の外形を調査し、「朝鮮人の帰化せし者なりとの説は少しも信ずるに足らざるなり。蓋し一も其帰化らしき体質を認めざればなり。若しも彼等が朝鮮的体質なるならば彼等の目は必ず蒙古的ならざるべからず。亦頭形がブラキセフワリック即ち幅の広きものならざるべからず。然るに彼に在りては此要素を少しも認むる能はざるに於ては寧ろマレー的体質を備ふるものに類似せるなり」との調査結果を発表し、朝鮮人説を完全に否定するとともに、被差別部落民には「蒙古眼(蒙古襞)」がみられない南方系の人種であることを強調している。なお、このように、頭長で蒙古眼がみられないという特徴は、アイヌなどの古モンゴロイド(縄文人)のそれと一致する。俗に「被差別部落には美人が多い」という言い伝えがあり[10][11][12][13][14]、この伝承も被差別部落の異人種起源説を前提にしている[15]。部落出身の岡本弥は「我徒の同胞には可なりの美人が少なくない」と述べ、部落の美人が一般地区に流出し醜い女性だけが部落に残ることを憂え、美人保護論を唱えた[16]賀川豊彦は「穢多の間に美人が多いことは誰も認めて居る処である」と述べ、被差別部落民のコーカソイド起源説を唱えた[17][18]大江卓は「我国の『エタ』も其実往古より『ハフリ』の別名にして、交趾支那に来りた『ヘブリウ』人の一部分の渡来したる者なりと想像す可からざるにあらざるなり」と述べた[19]

また、戦後になると、大阪大学教授で人類学者の小浜基次が、形質人類学により、47の被差別部落を含む全国的な調査を行ったが、被差別部落民は周辺地域と比較して中頭型の性質を示したという。短頭型の朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区内においてはもとより、一般集団との差異が少ない地域においても、被差別部落民は周辺地域の人と比較して長頭の傾向があったという[20]

沖浦和光岩上安身によるインタビューの中で「すべての先住民のなかで蝦夷が、ヤマト朝廷の侵略に抵抗して、最も粘り強く果敢に戦った」「戦いに敗れた蝦夷の戦士たちは俘囚として連行され、西日本各地に配流されてその一部は賤民とされました」[21] と述べている。沖浦によると、インド伝来のケガレ思想が、中世以降、蝦夷への差別に影響したという[22]

本田豊は一方で「部落大衆を異民族視」することを「問題」といいつつ、他方では異民族起源説を「『荒唐無稽』として、現在はしりぞけられている説ではあるが、私はこの説の再検討が必要だと考えている。北陸には南北朝ころまで中国大陸や朝鮮半島からの渡来人が多数わたってきていたのであり、渡来人のもたらした文化遺産は多数残されている。そうした渡来人が形成した、と思われる部落も確実に存在するのである」と述べている[23]


  1. ^ 『民俗学辞典』(1951、P550)では差別の大きな要因として「死穢や死霊とかかわりあう宗教的職能民を特別視する感覚」を挙げている。
  2. ^ 原田「幕藩社会と身分制」(「近世の被差別部落」P43)
  3. ^ 『部落の歴史像』解放出版社、2001年。
  4. ^ 上杉前掲書P242、上杉聰講演「部落の起源と天皇制」[1](2006年)
  5. ^ 上杉前掲書P64によれば「紀伊国隅田荘赤塚村堂座証文」(1395年、高野山文書)に「血脈一度穢れては清くなることかなわず、穢多の子孫はいつまでも穢多なり」とある。
  6. ^ 上杉前掲書P52-62
  7. ^ 高本力『増補新版 部落の源流』p.198。
  8. ^ 1946年10月14日の講演での発言。「宗像郡部落解放委員会講演速記」、『部落解放史・ふくおか』第61号、福岡部落史研究会、1991年3月、p.128
  9. ^ 関口寛『20世紀初頭におけるアカデミズムと部落問題認識』
  10. ^ 田宮武『被差別部落の生活と闘い』(明石書店, 1986)p.243
  11. ^ 渡辺巳三郎『近代文学と被差別部落』p.241
  12. ^ 原田伴彦『部落解放を求めつづけて: 原田伴彦部落問題選集』p.153
  13. ^ 柴田道子『被差別部落の伝承と生活: 信州の部落.古老聞き書き』p.48
  14. ^ 塚原美村『未解放部落』p.236
  15. ^ 『資料集『賀川豊彦全集』と部落差別: 『賀川豊彦全集』第8巻の補遣として』p.54, 176
  16. ^ 岡本弥『特殊部落の解放』p.202
  17. ^ 賀川豊彦『貧民心理の研究』
  18. ^ 『日本キリスト教史における賀川豊彦: その思想と実践』p.117
  19. ^ 『岩波講座日本通史』第18巻、157頁
  20. ^ 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)
  21. ^ 『天皇の伝説』p.196
  22. ^ 『天皇の伝説』p.199
  23. ^ 本田豊『新版 部落史を歩く 非人系部落の研究』211頁


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