近江鉄道デハ1形電車 車体

近江鉄道デハ1形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:16 UTC 版)

車体

長さ14.7 m[5]のシングルルーフ木造車体[1]で、両運転台制御電動車である[6]。側面扉は片側3ヶ所[6]、前面は神姫電鉄時代にあった貫通扉[15]が撤去された非貫通3枚窓で[1]、側面窓配置は1D222D222D1[注 7]である[6]。屋根上はお椀型ベンチレーターを装備し[2]集電装置は神姫電鉄時代のトロリーポールから変更されてパンタグラフが搭載されている[6]。 当時としては珍しく車体側面に広告用の枠が設けられており、催し物や沿線の行楽案内などを書いた鉄板を挿し込んで用いられた[1]

運用開始後

運用開始後は近江鉄道の主力形式として[16][17]、単行あるいは付随車を1~2両引いて運転され[2]、終着駅で折り返す際は連結位置を先頭に付け替えられた(機回し[18]

改造

前照灯は登場時には腰部に掛替式のものが設置されていたが、1929年12月9日認可で屋根上へ移設された[6]。なお、移設後も跡には取付具の帯板が残存していた[19]

デハ1形2~9は、1932年9月12日認可で手荷物室が設置され、デハニ2形[注 3]2~9へと改称した[6]。これは貴生川方の扉から窓2つ分の座席を撤去し、鎖で仕切った簡易なもので、荷物を搭載しない時は鎖を外して立席として使用された[6]。改造により旅客定員が92名から76名に減少し、荷重が1トンに増加した[2]

登場時は運転台横に小型の方向幕が設置されていたが[6]、後に使用が停止され[注 8]方向板が用いられるようになった[17]

1947年12月27日認可で歯車比が変更され、2:34から4:93になった[6]

1956年以降、西武鉄道から多数の制御車が転入し、終着駅で従来行っていた連結位置を先頭に付け替える作業が必要なくなったため、デハニ3・4が片運転台化された[6]

後身

1950年代後半になると車体の老朽化が目立ち始めたため1960年より鋼体化改造が行われることとなり[6]、その際にモハ1形、モハ7形、モハ9形へと形式変更がなされた。[6][4]

1963年にデハ1がモハ9形モハ9に改造されてデハ1形は消滅し[3]、デハニ2形は1966年3月にデハニ2・5がモハ1形モハ2・5に改造されたことで消滅した[4]

  • モハ7形

デハニ4・7は1960年2月27日認可でモハ7形のモハ4・7に改造された[4]。鋼体化したことになっているものの、実際はデハニ4は西武鉄道モハ211の、デハニ7は西武モハ214の車体に振り替えたものである[3]

デハニ4はモハ7形モハ4となったが、衝突事故の復旧時に車番をモハ4からモハ8に書き換えられている(後述)[3]

  • モハ1形

デハニ2~6およびデハニ9は、1963年10月から1966年3月にかけて[4]車体を自社工場で新製して鋼体化し、モハ1形モハ1~6となった[3]。車号はデハニ9がモハ1に、デハニ2~6はモハ2~6となった[4]。ただし、後述の理由から改造元のデハニ4は元々デハニ8であった車両である[3]

  • モハ9形

デハ1は、1963年11月7日認可でモハ9形モハ9に改造された[3]。これもデハ4(初代)・7と同様に、鋼体化名目で西武鉄道クハ1214・1215の車体に振り替えたものである[3]

車番振替

デハニ4は鋼体化改造が行われ、モハ7形モハ4となったが、改造された直後の1960年8月22日ED311との正面衝突事故に遭った(近江鉄道彦根口 - 高宮間正面衝突事故[3]。その後復旧される際に忌み数として車番がモハ4からモハ8に書き換えられ、それに伴ってデハニ8はデハニ4に書き換えられた[3]。そのため、車番が書き換えられる前後で車籍と現車が一致しないことになり、現車は前述の通りデハニ4→モハ7形モハ4→モハ7形モハ8、デハニ8→デハニ4→モハ1形モハ4と変遷したのに対して、車籍上はデハニ4→モハ1形モハ4、デハニ8→モハ7形モハ8となった事になっている[3]


注釈

  1. ^ 神姫電鉄1形の製造年ではなく、近江鉄道デハ1形としての製造年。
  2. ^ 70 PSとする資料もある[6]
  3. ^ a b デハニ1形と呼ばれることもある。
  4. ^ 直流1,500 V用の電車は大阪鉄道デイ1形に続いて日本で2例目であった。
  5. ^ のちに宇治川電気より分離して山陽電気鉄道となる。
  6. ^ 兵庫電気軌道の車両のうち一番幅広であった1形(7 - 12)の最大寸法が幅2,432 mmであったのに対し神姫電鉄の1形は2,740 mmと30 cm近い差があった。[11]
  7. ^ Dは客用扉。乗務員扉は装備されていない。
  8. ^ 時期は不明だが、1952年3月時点では既に使用停止されていた。[17]

出典

  1. ^ a b c d e 『私鉄車両めぐり23 近江鉄道株式会社』、31頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『近江鉄道電車沿革史』、147頁
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『私鉄車両めぐり83 近江鉄道下』、73頁
  4. ^ a b c d e f 『私鉄車両めぐり83 近江鉄道下』、73・74頁
  5. ^ a b c d e f g h i 『私鉄車両めぐり23 近江鉄道株式会社』、32頁
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『私鉄車両めぐり83 近江鉄道下』、71頁
  7. ^ a b c 『近江鉄道の鉄道事業を語る』、25頁
  8. ^ 『現有私鉄概説 近江鉄道』、44頁
  9. ^ 『宇治川電気グループの系譜』、202頁
  10. ^ 『私鉄車両めぐり167山陽電気鉄道』、62頁
  11. ^ a b 『私鉄車両めぐり109山陽電気鉄道』、52頁
  12. ^ 『山陽電気鉄道スピード小史』、26頁
  13. ^ a b 『山陽電気鉄道の形成』、39頁
  14. ^ 『絵葉書に見る兵庫電軌・神姫電鉄 宇治川電気の時代』、84頁
  15. ^ 『私鉄車両めぐり109山陽電気鉄道』、37頁
  16. ^ 『私鉄車両めぐり23 近江鉄道株式会社』、30頁
  17. ^ a b c 『近江鉄道を訪ねて』、49頁
  18. ^ 『近江鉄道コレクションブック』、28頁
  19. ^ 『昭和10~30年代 近江鉄道 八日市鉄道 車輌アルバム』、59頁


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