秦仲 秦仲の概要

秦仲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 09:33 UTC 版)

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生涯

公伯の子として生まれる。

公伯3年(前845年)、父の公伯が亡くなると、その後を継いで秦の当主となった。

秦仲3年(前842年)、厲王が無道だったため、諸侯で叛く者が出始めた。西戎もこれに乗じて叛き、犬丘[1]大駱中国語版[2]の一族を滅ぼした。

秦仲23年(前822年)、周の宣王が秦仲を大夫として西戎を討伐させたが、逆に秦仲は西戎に殺されてしまった。秦仲の死後は長子の荘公が継いだ。

参考資料

  • 史記』(秦本紀第五)

  1. ^ 現在の陝西省宝鶏市扶風県
  2. ^ 秦仲の高祖父。秦の初代当主である非子の父。


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