神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 02:37 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部本部 | |
団体種類 | 一般社団法人 |
---|---|
設立 | 1905年3月17日[1](創設は1870年9月23日) |
所在地 | 兵庫県神戸市中央区八幡通2-1-20 磯上公園内 |
法人番号 | 4140005001496 |
活動地域 | 日本 |
概要
1870年9月23日(明治3年8月28日)、アレキサンダー・キャメロン・シムの提唱により、神戸外国人居留地内に会員43名で発足。初期の会員にはシムのほかに六甲山の開祖として知られるアーサー・ヘスケス・グルームが名を連ねている[2][3][4]。
1888年3月、横浜カントリー・アンド・アスレティック・クラブ(YC&AC)との間でインターポートマッチが開催された。なお、YC&ACとの対戦は日本で最も古いサッカーの対抗戦と位置づけられている[5]。
第二次世界大戦後に現在地の磯上公園に移転した。2007年4月、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するヴィッセル神戸と提携を結んだ。
体育館
発足から3か月後の1870年12月(明治3年閏10月/11月)、神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部(KR & AC)は居留地内に体育館を建設[6]した。1874年(明治7年)11月、日本政府が居留外国人に対し居留地東側へのグラウンド(内外人公園、後の東遊園地の設置を認めた[7]。グラウンドは1877年(明治10年)5月に完成[8]ことに伴い、体育館はグラウンド内に移設された。
体育館はKR & ACのクラブハウスとして機能し、ボクシングやフェンシングといったスポーツが行われたほか、会員以外にも開放され、居留地内の市民ホールとしての役割も果たした[9][10]。演劇や音楽会、ダンスパーティーなども催された[11][12]。演劇界においては「横浜外国人居留地内の『ゲーテ座』、長崎外国人居留地内の『パブリックホール』とともに、明治以降の日本演劇史に残る重要な施設」とされており[13][14]、1927年(昭和2年)の新築を経て太平洋戦争中の1945年(昭和20年)に空襲で焼失するまでの間、神戸における「アマチュア演劇のメッカ」として機能した[15][16]。劇場としての機能から、体育館は「体育館劇場」、「居留地劇場」と呼ばれた。
1945年の焼失後、体育館は東遊園地内に再建されたが、1962年(昭和37年)に磯上公園(神戸市中央区八幡通)に移設された[17]。
アクセス
- 神戸新交通ポートアイランド線 貿易センター駅 徒歩5分
- JR神戸線 三ノ宮駅 徒歩8分
- 阪急神戸本線 三宮駅 徒歩10分
- 阪神本線 三宮駅 徒歩8分
- 神戸市営地下鉄山手線 三宮駅 徒歩10分
- 神戸市営地下鉄海岸線 三宮・花時計前駅 徒歩5分
- ^ 兵庫県教育委員会所管公益法人一覧
- ^ 神戸外国人居留地研究会(編)1999、110-111頁。
- ^ ジャパン・クロニクル社(編)1980、136頁。
- ^ “【前編】150年の歴史 神戸リガッタアンドアスレチック倶楽部”. 阪神電気鉄道. 2019年12月9日閲覧。
- ^ “沿革・歴史”. 日本サッカー協会. 2014年7月11日閲覧。
- ^ 神戸外国人居留地研究会(編)1999、111頁。
- ^ 土居2007、47頁。
- ^ 神木・崎山1993、115-116頁。
- ^ 高木2006、215頁。
- ^ 棚田他1996、5頁。
- ^ 棚田他1996、5頁。
- ^ 高木2006、215-216頁。
- ^ 楠本2007、135頁。
- ^ [[#棚田他1996}|棚田他1984]]、31頁
- ^ 高木2006、215-216頁。
- ^ 楠本2007、135頁。
- ^ 楠本2007、135頁。
- 1 神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部とは
- 2 神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部の概要
- 3 脚注
- 4 外部リンク
- 神戸リガッタ・アンド・アスレチック・倶楽部のページへのリンク