石炭の歴史村 石炭の歴史村の概要

石炭の歴史村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/17 15:28 UTC 版)

石炭の歴史村
石炭の歴史村の中核施設・夕張市石炭博物館
施設情報
前身 夕張炭鉱
テーマ 石炭炭鉱
事業主体 夕張市
管理運営 第三セクター「石炭の歴史村観光」[1]

夕張リゾート株式会社[2]
面積 51万m2
開園 1980年(昭和55年)7月[3]

1983年(昭和58年)6月1日
(全面開業)[4]
所在地 068-0401
北海道夕張市高松7
位置 北緯43度04分02.15秒 東経141度59分16.75秒 / 北緯43.0672639度 東経141.9879861度 / 43.0672639; 141.9879861
公式サイト http://www.yubari-resort.com/
テンプレートを表示

歴史・概要

1977年(昭和52年)の北炭夕張炭鉱新第二炭鉱の閉山決定に際し[5]、当時の夕張市助役の中田鉄治が構想して「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして周囲を説得し、事業が開始されることになったものであった[6]。同鉱に存在した石炭大露頭や旧天竜坑を用いた模擬坑を観光資源として活かした石炭博物館を中心に1978年7月に新第二炭鉱跡地15ヘクタールにて着工された[5]

1980年(昭和55年)7月に運営母体の第三セクター「石炭の歴史村観光」を設立して[1]同月に一部施設が開園し[3]、1983年(昭和58年)6月1日には[4]遊園地なども含めて全面的に開園した[6]

構想を立てた中田鉄治は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年間夕張市市長を務め、当事業を含めた炭鉱閉山後の地域活性化策を推進した[7]

炭鉱の立て坑を模したシンボルタワー[3]や日本で唯一の「模擬坑」[8]のある「夕張市石炭博物館」を中心に[9]、等身大の人形を用いて炭鉱住宅街の様子を再現した「炭鉱(やまの)生活館」[10]や1888年(明治21年)に北海道庁技師の坂市太郎が発見した夕張炭鉱の原点である「石炭大露頭」[11]などが園内に配置された。

大観覧車やジェットコースターなどがある遊園地「アドベンチャー・ファミリー」[12][13]や2万本以上のバラが咲き乱れる「ローズガーデン」 [14]なども併設されており、年間200万人の観光客招致を目指した夕張市の「炭鉱から観光へ」の象徴であった[1]

また、野外ステージもあり、「愛・ラブ・夕張1983年コンサート」[15]レゲエの音楽祭であった「ユーパロ・ミュージック・フェスティバル1990年」の会場にもなった[16]

当園を運営する第三セクター「石炭の歴史村観光」は黒字とされており[17]自己破産を申請する直前の2006年(平成18年)3月期決算も同様であったが[1]、夕張市から委託料を受け取って売上を夕張市へ入金する業務委託契約であったためで[1]、2005年(平成17年)度の「石炭の歴史村観光」の売上高は約13.6億円で夕張市からの委託料26.5億円の約半分と実態は大幅な赤字であった[1]

そのため、2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市が事実上倒産した[18]ことに伴い、「石炭の歴史村観光」の運営する施設は例年より早い10月15日から閉鎖されて冬季休業に入り[19]、当時当園を運営していた夕張市の第三セクター「石炭の歴史村観光」は「今後は委託料など市からの収入が見込めないこと」から同年11月29日に札幌地方裁判所に自己破産を申請して破綻した[1]

夕張市の財政再建策のなかで、当初は閉鎖が予定されていた。 しかし、夕張を支えた炭鉱産業に触れることのできる施設は歴史・資料的価値が高いとして、内外から存続要望の声が多く挙がった。

そこで、2007年(平成19年)に加森観光が指定管理者となり、その関連会社である夕張リゾートの運営で同年4月27日に再開した[2]

ただし、遊園地「アドベンチャー・ファミリー」は再開されないまま野ざらしの状態が続き[20]、2008年(平成20年)5月から解体を開始、撤去された[21]

2018年4月28日に2年に渡る改修工事を終え、石炭博物館がリニューアルオープンした。指定管理者は同年4月1日より、NPO「炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団」に移管された。

2019年4月18日23:45頃、「模擬坑道」で火災が発生したと通報があった。模擬坑道では4月27日の今期営業開始を控え、坑道補強のための溶接作業を行っていた。しかし名前は模擬とはいえ、明治時代に使われていた本物の坑道を再利用したもので、炭鉱内に残る石炭や木材に引火したと見られている[22][23]5月13日、夕張市の厚谷司市長は鎮火したと発表した。

沿革

  • 1978年 - 建設工事着手[24]
  • 1980年 - 石炭博物館・SL館開業[24]
  • 1981年 - 炭鉱生活館・水上レストラン「望郷」開業[24]
  • 1983年 - 遊園地「アドベンチャー・ファミリー」・知られざる世界の動物館開業をもって全面開業とする[24]
  • 1986年 - 大観覧車導入、ファミリーキャンプ場開業[24]
  • 1987年 - ゴーカート導入[24]
  • 1988年 - 入場無料化、ロボット大科学館・イベント館開業[24]
  • 1989年 - 立体映像館開業[24]
  • 1990年 - 石炭博物館に動態採炭機械を導入、施設パスを廃止し新セット料金に移行[24]
  • 1993年 - ゲームハウス導入[24]
  • 1994年 - 総合パス制に移行、単券廃止[24]
  • 1995年 - 石炭博物館単独料金を設定[24]
  • 1998年 - 石炭博物館単独料金を正式化[24]
  • 1999年 - ローラーリュージュ導入[24]
  • 2000年 - 化石のいろいろ展示館開業[24]
  • 2001年 - 郷愁の丘ミュージアム歴史館開業[24]
  • 2002年 - 各施設単館料金を設定[24]
  • 2003年 - 郷愁の丘ミュージアムセンターハウス・シネマのバラード館開業[24]
  • 2005年 - 北の零年希望の森・オートキャンプ場開業[24]
  • 2006年 - 夕張市の財政再建団体申請に伴い「石炭の歴史村観光」破綻。同年をもって遊園地休業。
  • 2007年 - 加森観光に移管。
  • 2008年 - 遊園地解体、SL館閉鎖。
  • 2015年 - 加森観光が石炭博物館管理返上をもって完全撤退、石炭博物館を休館し夕張市直営とする。炭鉱生活館解体。
  • 2016年 - 石炭博物館改装着手。
  • 2018年 - 石炭博物館を炭鉱の記憶推進事業団に移管し再開館。

石炭の歴史村観光


注釈

  1. ^ 特撮番組超獣戦隊ライブマン』の撮影で使われたもの。三機の工作用重機を改造して作られ、実際に合体することができた。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j “夕張「歴史村」が自己破産 負債74億円、全社員解雇”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年11月29日)
  2. ^ a b 酒井麻里子、杉原洋嗣 (2007年4月28日). “再建始動 夕張の春(5)歓迎と不安 観光施設再開”. 読売新聞 (読売新聞社)
  3. ^ a b c “石炭の歴史村 7月オープン タワーが歓迎”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1980年6月26日)
  4. ^ a b c 鈴木徹(2006年8月30日). “夕張よ 盛衰の軌跡 3 “2億円”寄贈話 たが外れ錬金術の沼へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
  5. ^ a b 夕張市長まちおこし奮戦記 超過疎化からの脱出作戦 - 青野豊作(PHP研究所 1987年)
  6. ^ a b 横井正浩 (2006年8月29日). “夕張よ 盛衰の軌跡 1 炭鉱から観光へ 「積極路線」が病巣に”. 北海道新聞 (北海道新聞社) 
  7. ^ ““波瀾万丈の日々”に別れ 6期24年 中田鉄治夕張市長が退任”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年4月26日) 
  8. ^ “北炭夕張砿模擬坑”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1973年1月14日) 
  9. ^ 斉川誠太郎 (2006年8月30日). “夕張よ 盛衰の軌跡 2 前市長の夢 まち再生へ らつ腕発揮”. 北海道新聞 (北海道新聞社) 
  10. ^ a b “週遊スクエア 夕張・石炭の歴史村「炭鉱生活館」 炭住街の活気再現 実物大模型やパノラマ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年12月4日) 
  11. ^ “石炭の歴史村 史跡夕張鉱”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1980年6月26日) 
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “石炭の歴史村(夕張)にアドベンチャーファミリー”. ゲームマシン. アミューズメント通信社 (217): pp. 6-7. (1983年8月1日). 1983-08-01. https://onitama.tv/gamemachine/pdf/19830801p.pdf 
  13. ^ a b c “ゴールデンウイークガイド 楽しさいっぱい さあ出かけよう”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年4月27日) 
  14. ^ “多彩にバラ満開 赤やピンク2万2千本 夕張”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年7月26日) 
  15. ^ “夕張 連帯のコンサート”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年8月13日) 
  16. ^ “ユーパロフェス レゲエのビート 3600人酔う”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年8月6日) 
  17. ^ “夕張市の“三セク決算”明暗 観光開発 宿泊好調で黒字に 歴史村観光 利益幅が拡がる 木炭製造 累積赤字膨らむ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年6月21日) 
  18. ^ “再建団体申請 夕張市長、きょう議会で表明 動き急、戸惑いに拍車 市民 「暮らし想像できぬ」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年6月20日) 
  19. ^ a b “夕張よ 経費節減、休業前倒し 三セクの10施設 再開は不透明”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年10月16日) 
  20. ^ a b “閉鎖続く夕張「アドベンチャーファミリー」 解体、鉄くず売却も 市など検討 譲渡、再開は絶望的”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2007年10月4日) 
  21. ^ a b “夕張「アドベンチャーファミリー」 解体 月内にも開始 中国で再利用も検討”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年5月10日) 
  22. ^ “北海道 夕張 石炭博物館で火災 坑道にある本物の石炭が燃焼か”. 日本放送協会. (2019年4月19日). https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190419/k10011888961000.html 
  23. ^ “夕張市石炭博物館の火災続く 炭層引火か、坑道に注水”. 北海道新聞. (2019年4月19日). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/297792 
  24. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 石炭博物館の再開に向けて-これまでの経緯と運営計画- - 吉岡宏高(炭鉱の記憶推進事業団)
  25. ^ a b c d e 沢田信孝、高橋俊樹(2006年9月2日). “夕張よ 盛衰の軌跡 5 冷ややかな視線 ずさん計画 銀行見抜く”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
  26. ^ a b c d e f g h i j 石炭の歴史村〔北海道・夕張〕:考察 - 空間通信
  27. ^ “夕張の剥製が「引っ越し」 国立科学博物館で公開始まる”. MSN産経フォト. (2013年1月16日). オリジナルの2013年1月18日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130118032807/http://photo.sankei.jp.msn.com/kodawari/data/2013/01/17hakusei/ 2018年6月4日閲覧。 
  28. ^ “夕張が剥製6百体譲渡/国立科学博物館で公開”. 四国新聞社. (2013年1月16日). https://www.shikoku-np.co.jp/national/life_topic/20130116000073 
  29. ^ 財政破綻…そして鉄くずに 夕張の「救世主ロボ」解体 - 朝日新聞 2008年8月29日
  30. ^ 相澤博士のロボットが里帰り - 国際医療福祉教育財団
  31. ^ 2"人"の相澤ロボットが生誕の地・西東京の多摩六都科学館へ - 財団が寄託 - TECH+
  32. ^ a b c 海と人と小樽博だより - 北海道新聞1984年8月24日21面
  33. ^ a b c d e f 石炭博物館バックヤードお宝拝見ツアーの様子 - そらち★ヤマの記憶だより(NPO炭鉱の記憶推進事業団 FC2ブログ)


「石炭の歴史村」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「石炭の歴史村」の関連用語

石炭の歴史村のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



石炭の歴史村のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの石炭の歴史村 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS