田子池 地理

田子池

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/26 08:32 UTC 版)

地理

長野市の北東部、若槻田子地区と地区との境に位置する[1]。東西方向に240メートル方向に220メートルの丸みを帯びた池で、面積は約5ヘクタールである[4]

地名の「田子」は、もともと「多湖」あるいは「多胡」と書き、かつては7から8か所のがあったと言われている[4]。人々はそれらを干拓して村落を作っていった[4]。かつての湖の跡の最深部に形成されたのが田子池であるという説もあるが、成因について詳しいことは不明である[4]

池の農業用水として用いられており、田子・吉・三才の各地区に配水される[5]江戸時代には既に農業用水として用いられており[4]、水を巡って村同士が争うこともあった[6]明治時代には田子・吉の2か村が池の所有権を巡って争った結果、3ヘクタールが田子地区、残り2ヘクタールが吉地区に所属することとなった[4]1924年大正13年)、田子池が干上がるほどの水不足を契機に田子池水利組合が結成[4]。さらに1927年昭和2年)には耕地整理組合が設立され、池の拡張工事が実施された[4]

田子池では、「長野市における“スケート発祥の地”といえるほど、さかんにスケートが行われた」[7]という。結氷した湖面が長野市民のスケートリンクとして開放され、スケート大会も開催された[8]。地元では『田子池スケート歌』が制作され、大会に出場した地元出身選手への応援歌として歌われた[1]1952年(昭和27年) - 1953年(昭和28年)にはオリンピック出場経験もあるフィギュアスケート選手の稲田悦子が当地を訪れて演技を披露したこともある[9]。しかし、暖冬の影響で湖面が結氷しにくくなり、屋内スケート場が開設されたことや、スケート以外の娯楽が増えたこともあって、田子池におけるスケートは衰退した[5]


  1. ^ a b c 『信州の湖沼』73 - 74ページ。
  2. ^ 座標は「地理院地図(電子国土Web)」にて得た(参考値、2014年4月4日閲覧)。
  3. ^ 日本歴史地名大系 20 長野県の地名』827ページ。
  4. ^ a b c d e f g h 『信州の湖沼』74ページ。
  5. ^ a b 『信州の湖沼』74 - 75ページ。
  6. ^ 角川日本地名大辞典 20 長野県』694ページ。
  7. ^ 『信州の湖沼』73ページより引用
  8. ^ 『信州の湖沼』73、75ページ。
  9. ^ 『信州の湖沼』75ページ。
  10. ^ マピオン田子池の地図」より(2014年4月4日閲覧)。
  11. ^ 長電バス路線図 長野・須坂エリア」より(2014年4月4日閲覧)。


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