牧野宏 牧野宏の概要

牧野宏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/23 23:23 UTC 版)

牧野 宏
基本情報
国籍 日本
出身地 千葉県成田市
生年月日 (1937-11-09) 1937年11月9日
没年月日 (1994-01-19) 1994年1月19日(56歳没)
身長
体重
174 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1961年
初出場 1961年
最終出場 1962年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

来歴・人物

成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する[1]。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。

法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。打者としては立大の長嶋と1厘差の打率.332でベストテン2位となる。1958年秋季リーグでは13試合に登板して12完投、立大に次ぐ2位となり、同季のベストナインに選出されている。1959年初頭に肋膜炎に罹患、春季リーグを棒に振るが、秋季リーグで打者として復活した。リーグ通算42試合登板、22勝11敗、防御率1.19、162奪三振。

卒業後は日本石油に入社するが、佐々木吉郎、伊藤正敏ら好投手がおり、病後ということもあって一塁手としての出場が多かった。1960年都市対抗に出場。準々決勝からは四番打者として起用されるが、準決勝で高林恒夫のいた熊谷組に敗退[2]

1961年阪急に入団。実績のある右腕投手として期待され、同年は5月末から先発として起用される。しかし病の影響もあってすでに往時の力はなく、わずか1勝に終わった。1962年のシーズン途中から野手転向も模索するが、1963年には出場機会がなく、同年限りで現役引退。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1961 阪急 11 7 0 0 0 1 5 -- -- .167 163 34.0 49 5 12 1 1 16 0 0 30 26 6.88 1.79
1962 14 0 0 0 0 1 0 -- -- 1.000 123 29.0 30 2 8 0 1 14 0 0 18 12 3.72 1.31
通算:2年 25 7 0 0 0 2 5 -- -- .286 286 63.0 79 7 20 1 2 30 0 0 48 38 5.43 1.57

背番号

  • 11(1961年 - 1963年)

  1. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  2. ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年


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