正司敏江・玲児 著書

正司敏江・玲児

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/08 17:31 UTC 版)

著書

  • 正司敏江のどつかれても踏まれても(1992年9月、恒友出版)ISBN 978-4765220668

メディア出演

テレビ

ラジオ

映画

CM

Vシネマ

  • DiGi mation 5 新桃太郎伝説 七夕の村は激戦区

エピソード

  • どつき漫才で人気が出始めた頃、芸には厳しい古老の漫才の諸先輩(三遊亭小円・木村栄子等)から「あんなのは漫才ちゃう、あの後に出るわてらの身になってみなはれ」と厳しく叱責、いじめも多かったという。
  • 表向き松竹芸能の漫才枠に入ってはいるが、その昔、事務所を解雇させられた玲児だけは、そのまま一時、フリーの身となる。
  • 上方演芸会』(NHKラジオ第1放送)の、とある地方での放送収録の際、漫才の最中に敏江がネタを忘れてしまった為、途中で中断し、正規な台本での漫才ができなかった。番組関係者に「再度の録音」を懇願したが、収録時間の関係等で受け入れられず、その後また「再度の録音」を懇願し、交通費等自費、ノーギャラで、別の「上方演芸会」の収録に独自に参加させてもらって録音をして貰い、正規の番組放送に編集して挿入し放送してもらった事がある。
  • 北野武が『アウトレイジ』公開の際、某メディアにて『(映画のタイトルは)敏江・玲児じゃないよ』と発言。
  • 小林信彦の『日本の喜劇人』第9章「大阪の影」の末尾に「久しぶりに、ぞくぞくさせられる芸人に出会った」と敏江のことが出てくる。
  • 元タレント上岡龍太郎は『感心したのは正司敏江・玲児。あれを見たときには、あのコンビはいいなと。女を蹴飛ばしてね。きょうび(今どき)、家の中で女をどつく旦那がおらんようになった時代に、蹴るは、どつくは、引きずり廻すは、すばらしい意味で凄すぎるなと思った』と明かしている。

  1. ^ a b c d e f g 澤田隆治『上方芸能列伝』文藝春秋、1993年、191-203頁
  2. ^ 今日に至るまで、敏江は玲児を舞台上では「お兄ちゃん」もしくは「お兄さん」と呼んでいた。
  3. ^ 正司敏江・玲児の玲児が舞台復帰サンケイスポーツ、2010年11月7日)
  4. ^ “どつき漫才の正司玲児さん死去”. ORICON STYLE. (2010年12月11日). オリジナルの2014年3月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140307075741/http://www.oricon.co.jp/news/82938/full/ 2014年3月7日閲覧。 
  5. ^ スポーツニッポン 大阪本社発行版・本紙、2010年12月11日付け
  6. ^ 公演情報 詳細 日本芸術文化振興会 (文楽劇場小ホール・2010年11月分)
  7. ^ “正司敏江さんが死去 享年81 脳梗塞のため”. ORICON NEWS (oricon ME). (2021年9月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2207540/full/ 2021年9月19日閲覧。 
  8. ^ 漫才師の正司敏江さん死去”. JIJI.COM (2021年9月19日). 2021年9月20日閲覧。
  9. ^ 野牡丹


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