林家三平 (初代) 出演作品

林家三平 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/23 16:09 UTC 版)

出演作品

テレビ

映画

ラジオ

CM

音楽

シングル

  • おこちゃのチャ/ツーてばカー(テイチクレコード
  • 彼氏と彼女の午后でした(テイチクレコード)
  • 三平の聖徳太子の七不思議/三平の熱海の海岸(1962年2月、テイチクレコード)
  • ワッショイ踊り(林家三平・姫の宮ゆり)/ところどころ愛されてネ(姫の宮ゆり)(1965年8月、テイチクレコード、SN-234)- 日本テレビ踊って歌って大合戦」より
  • バチ・バチ/ヨシコと歩けば(1968年6月1日、東芝レコード、TP-1656)
  • ひとりぼっちの恋/夜明けのムーチョ(1970年1月、東芝レコード、TP-2241)

アルバム

  • 林家三平(1989年9月6日、ビクター、VDR-21035)
  • 林家三平メモリアル・ベスト(1992年9月23日、東芝EMI、TOCT-6659)

林家三平を描いたドラマ・舞台等

脚注


注釈

  1. ^ 香葉子は中根喜三郎の妹であり、三平は当時釣竿職人になったばかりの中根に対して資金援助をしていた。
  2. ^ なお、東京落語協会の八代目小三治は戦後落語家を廃業し、落語協会事務員に転向した(本名高橋栄次郎で活動)。そして九代目柳家小三治が後の五代目柳家小さんである。また、奇しくも五代目小さん襲名時も同様の諍いがあり、名跡を断念した側に代わりに与えられた名が「林家正蔵」の八代目であった。
  3. ^ 青蛙房より2001年に新装版が出ている。
  4. ^ この際正蔵は尊敬する三遊一朝の名を襲名することも考えていた[6]
  5. ^ 林家照蔵→五代目春風亭柳朝、林家勢蔵→二代目橘家文蔵など。林家時蔵(林家木久扇門下の落語家とは別人)は真打昇進時に林家の亭号を「はやし家」と平仮名交じりに改め「はやし家林蔵」を襲名している[7]
  6. ^ 圓蔵はこの時の三平を前座見習にもなっていない男と認識していた。
  7. ^ 東宝は既存の落語家を出演させる場であり、前座をどれだけ長く続けようとも舞台に上がれないシステムとなっていた。
  8. ^ 昭和の爆笑王と専ら呼ばれる様になったのは、没後しばらく経ってからのことである。
  9. ^ 戦後に「爆笑王」と呼ばれた存在として三平に先立つ者には三代目三遊亭歌笑がいるが、この歌笑はテレビ時代の到来を前に交通事故で夭逝している。
  10. ^ ただし、スウェーデンドナルドダック党に見られるように、無効票でも集計を行う事例も存在する。
  11. ^ 落語界の古いしきたりを重んじる明治生まれの圓生と、爆笑型テレビスターで大正生まれの三平は、最初の落語観からして全く異なる完全な対極的存在であり、特に圓生は三平とその一門を嫌悪・誹謗する発言を日頃から繰り返していた。
  12. ^ 落語協会会長時代の圓生は、真打昇進の基準として自身の古典絶対主義の落語観を強力に用いたため、新作落語や爆笑落語を専門分野とする若手の真打昇進をほとんど認めなかった。この実例を鑑みれば、圓生が健在である限り、新団体では三平の弟子たちが昇進すらままならなくなることは、火を見るより明らかであった。
  13. ^ 詳細は落語協会分裂騒動の項を参照。分裂騒動に加担して落語協会内部での力を喪失した圓蔵一門の中で、三平とその一門だけが圓蔵の意に背き落語協会残留の姿勢で一貫し、騒動後も落語協会内部での存在感をそのまま維持していた事などが背景にある。
  14. ^ 落語界の30代は、真打格でもまだ若手の内として扱われることも多い。
  15. ^ 林家たけ平林家たこ蔵林家はな平林家まめ平林家つる子。このうち、つる子は落語協会では初の「女性の抜擢真打」となっている。また、林家なな子も2025年9月の真打昇進が決定しており、九代目正蔵門下では6人目の真打となる。
  16. ^ 「一周忌追善興行」となる1981年は昼・夜とも惣領弟子のこん平が主任を、三升家勝二(後の八代目小勝)が仲入り前をそれぞれ務めた。直弟子だけではなく三平の兄弟子にあたる五代目月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)や初代林家木久蔵(現:林家木久扇)などの落語協会所属の他一門も多く出演している。また、長男のこぶ平(現:九代目正蔵)は同年5月に二ツ目に昇進していたが、夜の部後半(20:00上がり)に顔付けされていた。
  17. ^ 2021年の出演者は正蔵のほか、源平、種平、鉄平、しん平、錦平、のん平と色物のペー、カレー子の9名となっている。
  18. ^ 2021年はたい平の弟子のさく平(たい平の実子)と色物のあずみ、二代目三平の弟子のたたみが出演している。
  19. ^ 談志は、吉川英治の「新・平家物語」を読み、これまでの落語「源平盛衰記」を改作した。落語として口演するに当たり、林家正蔵の元ネタを伝承されたという形を作るべく三平に習ったと述べている。なお、談志版の源平にはサゲは無いが、三平版や十代目桂文治が演じた源平には地口落ちのサゲがある[14]
  20. ^ 2018年にライスが死去したため、カレー子は娘のまる子(タレント)とコンビを組んで「親子漫才」として活動しており、三平一門として一門会に出演する。
  21. ^ 三平死後はこん平門下に移り、1982年4月に真打に昇進したが、1987年8月に廃業(事実上の破門)となっている。
  22. ^ 三平死後はこん平門下に移り、1985年9月に真打に昇進したが、2005年に破門されている。
  23. ^ こん平が死去した際に、海老名香葉子がメディア各社に寄せた追悼文によれば「(こん平は)初代林家三平の五番目の弟子として内弟子となり」と明言している[17]
  24. ^ 現在は2人とも公式サイトから名前が削除されている[18]

出典

  1. ^ a b 史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月20日閲覧。
  2. ^ 林家三平さん:「肉弾特攻要員」だった…二代目取材で判明 - 毎日新聞
  3. ^ a b c d e f g h i j 『昭和55年 写真生活』p18-19(2017年、ダイアプレス)
  4. ^ 出没!アド街ック天国”. 出没!アド街ック天国 バックナンバー 2006年10月7日(土)放送 『根岸』. 株式会社BSテレビ東京. 2022年11月24日閲覧。
  5. ^ a b c d 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(3)」 『毎日新聞』 2009年10月21日、13版、9面。
  6. ^ 『正蔵一代』216頁
  7. ^ 『正蔵一代』240頁
  8. ^ ウクレレ漫談・牧伸二師匠「あ~やんなっちゃった~」誕生秘話 日刊ゲンダイ
  9. ^ 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(2)」 『毎日新聞』 2009年10月20日、12版、10面。
  10. ^ a b 「昭和の爆笑王 ご存じ 林家三平傑作集」編集 ねぎし三平堂 出版 毎日新聞社
  11. ^ 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.76-82
  12. ^ a b 川柳川柳 著「特別寄稿 大ガーコン」、落語ファン倶楽部 編『新作落語傑作読本 (3)』白夜書房〈落語ファン倶楽部新書 7〉、2013年、259頁。ISBN 978-4-86191-995-4 
  13. ^ 「落語家の通信簿」祥伝社新書 p.223
  14. ^ バンブームック 落語CDムック立川談志1 談志「芝浜・源平盛衰記」2010年、竹書房より
  15. ^ 一般社団法人東京演芸協会 会員紹介 林家ペタ子
  16. ^ 一般社団法人東京演芸協会 会員紹介 林家英平
  17. ^ 海老名香葉子さん、こん平さんの思い出を手紙に「天国で師匠!と言って甘えていることと思います」 - サンスポ 2020年12月22日
  18. ^ 東京演芸協会 会員紹介
  19. ^ (1)赤塚不二夫(2015年)(2)林家三平(2008年)”. NHK (2008年3月27日). 2021年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年10月31日閲覧。





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