木村荘平 家族・親族

木村荘平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 04:25 UTC 版)

家族・親族

  • 父・田原屋庄兵衛(製及び青物商)[5]。祖先は近江源氏で、武門の人であったが、故あって民間に下り、代々山城国宇治の田原に住し、代々「木村三右衛門」を称した[5]。山城国は古くから王地として知られ、木村家は禁裏御料で働く百姓として苗字を許され、傍ら茶渋を製造する地元の旧家だった[5]。次男だった父・庄兵衛は伏見に別戸して豆腐屋、皇居造営用の材木を切り出す樵夫の頭を経て、家業を継ぎ、製茶及び青物商「田原屋」として田原屋庄兵衛を名乗った[5]。のちに上林生林と改名した[5]
  • 妻・まさ子[1]
  • 長男・荘蔵[1](いろは合資会社代表社員)[2] - 荘平没後、30人以上の異母兄弟の総領として後継者となり、荘平を襲名したが、贅沢三昧に走り、次々に牛肉店を売り払い、旅館も倒産、末期には取引銀行である農工貯蓄銀行による不当貸付事件も発生し、関係者が司法的な追及を受けるまでに至り、倒産後は運転手として働いた[14]。子の木村鹿之助は川端龍子の弟子となり、青龍社の俊英として将来を嘱望されたが、病いを得て夭折した[15]
  • 次男・荘太[1]1889年 - 1950年、作家) - 母は鈴木ふく。木村荘八と同腹[16]
  • 三男・荘五[1](経済学者)
  • 四男・荘六[1]1894年 - 1965年、奇術師・木村マリニー、木村紅葉の名で活動弁士をしていたが、マックス・マリーニに会って奇術師に転向)
  • 五男・荘七[1](女形の新派役者) 
  • 六男・荘八[1]1893年 - 1958年、洋画家) - 母は鈴木ふく。
  • 七男・荘九[1]
  • 八男・荘十[1]1897年 - 1967年直木賞作家) - 母は稲垣あき。
  • 九男・荘十一[1]
  • 十男・荘十二[1]1903年 - 1988年映画監督) - 母は豊田きよ。
  • 十一男・荘十三[1]
  • 長女・栄子[1]1872年 - 1890年、作家・木村曙) - 母は妾からのちに正妻となった岡本政。
  • 次女・のぶ子[1]
  • 三女・りん子[1]
  • 四女・せい子[1](女優) - 母は稲垣あき。
  • 五女・ろく子[1]
  • 六女・九女子[1]
  • 七女・十一子[1]
  • 八女・十二子[1]
  • 九女・十六子[1]
  • 十女・十七子[1](となこ) - 新橋歌舞伎汁粉店「華」を経営。歌舞伎の舞台に似せた店造りで、座席には緋毛氈を敷き詰め、汁粉には歌舞伎の演目名をつけ、演目にちなんだ砂糖やアイスクリームなどの飾りつけをして、演目の中の有名なセリフを言いながら客に出すというやり方で人気を集めた。[17]
  • 十三子十四子十五子は病没[1]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『木村荘平君伝』1-61頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
  2. ^ a b c 『官報 1906年05月19日』官報 第6864号 633頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月19日閲覧。
  3. ^ a b c d 『日本紳士録 第6版』き之部563頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
  4. ^ a b c 『日本紳士録 第3版』き之部692頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 『東京商業会議所会員列伝』198-210頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
  6. ^ 後藤回漕店の社章「まるま」の由来とは後藤回漕店
  7. ^ 明治8年(1875)(株)山陰合同銀行『山陰合同銀行五十年史』(1992.06) 渋沢社史データペース
  8. ^ 芝浦と場・食肉市場の歩み東京都中央卸売市場
  9. ^ 勧農政策と三田育種場新修港区史
  10. ^ 屠場の発達 港区/デジタル版 港区のあゆみ 港区史 下巻
  11. ^ 『食肉の部落史』のびしょうじ、明石書店、1998年、p202
  12. ^ a b 『日本紳士録 第1版』き之部572頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年12月10日閲覧。
  13. ^ 子供は30人!京急沿線を暗躍した「ケタ外れの怪人物」木村荘平伝説鈴木勇一郎、現代ビジネス、講談社、2019.6.9
  14. ^ 明治期東京ベイ・スパ・リゾートへの投資リスク─ “奇傑”木村荘平による大規模観光経営・芝浦鉱泉旅館の興亡を中心に小川功、跡見学園女子大学マネジメント学部紀要13号、2012
  15. ^ 『木村荘八日記明治篇: 校註と研究』、木村荘八、東京文化財研究所美術部、小杉放菴記念日光美術館、2003年、p348
  16. ^ 私のこと木村荘八、「東京の風俗」毎日新聞社 1949(昭和24)
  17. ^ 『ハイカラに、九十二歲: 写真家中山岩太と生きて』中山正子、河出書房新社, 1987、p81


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