朝鮮放送協会 終末とその後

朝鮮放送協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/14 16:01 UTC 版)

終末とその後

1945年8月15日、日本の敗戦に伴い朝鮮半島北緯38度線を境に南側はアメリカ軍、北側はソ連軍赤軍)に占領される。だが南側では、8月の太平洋戦争終結後も京城中央放送局は日本軍によって警備され、朝鮮放送協会による日本語放送(第一放送)も継続されていた。しかし9月、京城に進駐したアメリカ軍によって日本軍は武装解除され、同時に日本語放送も廃止された。その後10月2日付で日本人職員全員が解雇されたが、日本人アナウンサー1名がアメリカ軍による依頼により嘱託の形で残留し、翌1946年1月まで日本語によるニュースを1日数回放送した。

1948年6月、アメリカ軍政当局から朝鮮放送協会に放送事業が移管され、同年8月、大韓民国成立と共に朝鮮放送協会は「大韓放送協会」と改称した。その後、数次の変遷を経て、現在の韓国放送公社(KBS)へと繋がっていく。

一方の北側では、ソ連軍の進駐に伴う社会主義化により、1945年8月26日に北緯38度線付近の放送専用線を遮断し、京城中央放送局(現在の韓国放送公社(KBS)本社)からの中継放送を廃止した(同時に放送自体も停止)。約2ヵ月後の1945年10月14日、平壌放送局が「金日成将軍祖国凱旋歓迎平壌市民大会」の中継から放送を再開した(北朝鮮の歴史では、金日成は日本軍に勝利し満州(現在の中国東北部)から凱旋帰国したことになっているが、実際は隠れていたソ連(現在のロシア)からの帰国だった)。その後、数次の変遷を経て、現在の朝鮮中央放送(朝鮮中央放送委員会)へと繋がっていく。

協会開設から終末までは、『JODK消えたコールサイン』(津川泉著、白水社、1993)という本にまとめられている。







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