旧国郡別石高の変遷 脚注

旧国郡別石高の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/03 10:09 UTC 版)

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 正保郷帳の表高、元禄郷帳・天保郷帳において、石高以外の表記がされているのは以下の地域である。
    • 遠江国 正保郷帳において永高は遠江郡内12村(下長尾村・上長尾村・水川村・藤川村・崎平村・千頭村・奥泉村・犬間村・久野脇村・葛篭村・家山村・坂里村)、周知郡内41村(三倉村・黒田村・中村・大河内村・北屋村・大井村・相月村・領家村・地頭方村・勝坂村・石切村・小俣京丸村・川上村・杉浦村・植田村・篠原村・気田村・平木村・気田十五七百村・里原村・窪田村・高瀬村・夜川十五七百村・川内村・長蔵寺村・石打松下村・田黒村・笩戸大上村・越木平村・田河内村・花島村・牧野村・泉平大西村・領家村・堀之内村・赤土村・徳瀬村・嶺沢頭村・大時村・平島沢村・上野平村)、豊田郡内46村(乙丸村・大深村・西ケ嶺村・横山村・雲桑村・大嶺村・瀬尻村・渡口村・半場村・川合村・浦川村・熊村・渡ケ島村・青谷村・瀬林村・中村・米沢村・日明村・伊須賀村・上ノ村・石神村・藤平村・足久保村・大栗安村・阿寺村・長沢村・懐山村・六郎沢村・嶺神沢村・上神沢村・月村・横川村・相津村・佐久村・谷山村・小川村・雲名村・戸倉村・下平山村・上平山村・佐久間村・中部村・くなは村・田能村・大久保村・中野村)で用いられており、但書に永1貫文高五石の換算が記されている。
    • 駿河国 正保郷帳において永高は志太郡内15村(身成郷・伊久美村・笹間渡村・笹間村・地名村・下泉村・一丁河内村・田野口村・堀之内村・青部村・田代村・岸村・藤川村・桑野山村・梅地村)で用いられており、寛永14年(1637年)に永1貫文高5石の換算が定められた。また金高は安倍郡内金納地9村(上田村・薬沢村・中野村・田代村・岩崎村・上坂本村・小河内村・梅ヶ島村・有東木村)で用いられており、延宝4年(1676年)に金1両高5石の換算が定められた。
    • 相模国 永高840貫文の鶴岡八幡宮を中心とする鎌倉郡内の諸寺社領(村数は郷帳によって異なる)については朱印状が永高で発給され続け、明治時代まで永高公称が存続した。
    • 常陸国 元禄郷帳・天保郷帳では、伊勢神宮富士浅間神社の寺社領が置かれた真壁郡内3村(深見村・金丸村・柴山村)について永高表記となっている。正保郷帳については写本が残っていないため、永高が用いられていたかは不明。
    但し実際には他の地域以外でも石高以外の公称が村高に用いられており、例えば武蔵国の正保郷帳(東京大学史料編纂所蔵『武蔵国田園簿』)では、永高4678貫27文を高2万3390石1斗2升に、反別高4083町3反7畝20歩・永68貫319文草銭を高6万5289石9斗5升8石に換算した上で、総石高を算出している。
  2. ^ 蒲生氏郷領91万9千石で実施された文禄検地により文禄3年(1594年)に作成された郷村帳(国立公文書館蔵『蒲生領高目録』)における郡高は以下の通りであるが、文禄3年の時点で既に置賜郡の石高は約18万石となっている。
    旧蒲生領における文禄3年石高と正保石高
    郡名 文禄3年石高 正保石高 寛文以降の所属郡
    稲川郡 35,418.06 35,004.4520 陸奥国河沼郡
    河沼郡 19,926.87 20,554.3430 陸奥国河沼郡
    大沼郡 57,850.98 77,635.2260 陸奥国大沼郡
    門田郡 17,170.22 大沼郡編入 陸奥国大沼郡
    山郡 78,842.45 81,306.6170 陸奥国耶麻郡
    猪苗代郡 20,424.82 20,622.5530 陸奥国耶麻郡
    南山 17,787.69 19,514.4237 陸奥国会津郡・大沼郡
    津川 9,131.60 9,113.7560 越後国蒲原郡小川庄
    伊南伊北 9,607.37 10,713.2370 陸奥国会津郡
    置賜郡 177,933.76 180,000.0000 出羽国置賜郡
    上長井 45,494.00 置賜郡編入 出羽国置賜郡
    屋代 19,720.05 置賜郡編入 出羽国置賜郡
    北条 19,602.46 置賜郡編入 出羽国置賜郡
    下長井 93,117.25 置賜郡編入 出羽国置賜郡
    白川郡 39,920.48 40,006.6610 陸奥国白河郡
    石川郡 30,127.97 36,049.7155 陸奥国石川郡
    岩瀬郡 51,414.32 51,326.9450 陸奥国岩瀬郡
    安積郡 36,440.74 37,380.3590 陸奥国安積郡
    田村郡 86,892.97 87,536.0670 陸奥国田村郡
    安達郡 35,200.88 69,781.4390 陸奥国安達郡
    二本松郡 33,465.94 安達郡編入 陸奥国安達郡
    伊達郡 56,683.88 67,660.6290 陸奥国伊達郡
    小手 12,960.72 伊達郡編入 陸奥国伊達郡
    苅田郡 38,646.35 21,794.4900 align=left|陸奥国刈田郡
    信夫郡 53,194.52 53,526.4985 陸奥国信夫郡
    総計 919,042.59 919,527.4117

    寛永10年(1633年)以降に作成された寛永国絵図や慶長日本総図では何れも置賜郡が陸奥国所属となっており、戦国時代から寛永期まで置賜郡一帯が陸奥国扱いであった可能性が高い。その一方で慶長郷帳高を記載していると考えられる「日本国知行高之覚」は出羽国高について「内拾万石上杉弾正分入」との注釈を入れており、寛永国絵図が作成されるより前の時点で置賜郡の石高が出羽国の石高に含まれるようになったようにも読みとれる。

  3. ^ 松下志朗, 「近世初期の石高と領知高」, 九州大学経済学会 経済学研究, 42巻, pp. 275–317 (1977年)).
  4. ^ a b 本表の大和国の慶長石高は『大和国著聞記』所収「寛永七年高付帳」による。以下の論文によると「寛永7年」という年号が入っているにもかかわらず、記載の領主は慶長8年(1603年)~慶長12年(1607年)当時のものであり、記載の村高も慶長期のものと推測される。
    • 秋永政孝, 「大和国の村高帳について」, 『奈良文化論叢』, 奈良教育大学地理学研究室, pp. 966–979 (1977年).
    なお本文書による大和国国高は44万3859石0斗7升8合であり、「日本国知行高之覚」記載の国高より274石9斗2升2合少ない
  5. ^ a b 本表の和泉国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵『和泉国図』による。なお本絵図記載の国高13万7646石7斗9升は郡高合計より1升2合少ない。また本絵図記載の国高に寺社領1160石3斗を加算すると合計13万8807石0斗9升となり、「日本国知行高之覚」記載の国高より10石多い
  6. ^ a b c 本表の摂津国の慶長石高は西宮市立郷土資料館蔵『慶長十年摂津国絵図』による。なお本絵図記載の国高に寺社領832石7斗4升を加算すると合計29万0901石3斗4升となり、「日本国知行高之覚」記載の国高より7斗6升少ない。また本絵図によると闕郡内東成6万1080石が河内国御帳入とあり、慶長年間中頃から寛永年間まで一時的に淀川以東の闕郡(住吉郡・東成郡と西成郡の一部)が河内国に編入され、正保年間前に摂津国所属となったことが判る
  7. ^ a b 本表の美濃国の慶長石高は徳川林政史研究所蔵『慶長六年丑年 美濃一国郷蝶並寺社小物成共』(『岐阜県史 史料編近世一』収録)によるが、中身は寛永初年頃に整理されたものであり、記載されている国高60万1048石6斗6升1合は「日本国知行高之覚」記載の国高より1万9525石6斗6升1合多い。また郡高合計58万8637石6斗3升とも一致しない。
  8. ^ a b 本表の飛騨国の正保石高は国立公文書館蔵『正保飛騨国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている飛騨国の正保石高は岡村文庫文書『慶長十年 金森素玄領飛騨国石高帳』(『岐阜県史 史料編近世一』収録)によるが、本文書は慶長郷帳であり、慶長郷帳と正保郷帳で国高は同一だが郡高が異なる。
  9. ^ a b 本表の若狭国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵南葵文庫『若狭国絵図』による。なお本絵図記載の国高85万099石6斗7升4合は「日本国知行高之覚」記載の国高より7升4合多い
  10. ^ a b 本表の越前国の慶長石高は福井県立図書館蔵松平文庫『越前国絵図』による。なお本絵図記載の国高68万0327石1斗2升は「日本国知行高之覚」記載の国高より2326石8斗8升少ないが、これは寺社領(正保郷帳で1313石8斗5升9合)・幸若分(正保郷帳で1075石)の石高にほぼ相当する。
  11. ^ a b 本表の加賀国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵南葵文庫『加賀国絵図』による。なお本絵図記載の国高44万2507石4斗5升6合は「日本国知行高之覚」記載の国高より5升6合多い
  12. ^ a b 本表の能登国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵南葵文庫『能登国絵図』によるが、本絵図記載の国高21万6891石3斗5升4合は郡高合計より1合多い。また本絵図記載の国高は「日本国知行高之覚」記載の国高より5升4合多い
  13. ^ a b 本表の越中国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵南葵文庫『越中国絵図』による。なお本絵図記載の国高53万0637石3斗7升1合は「日本国知行高之覚」記載の国高より7升1合多い
  14. ^ a b 本表の備前国の慶長石高は岡山大学附属図書館蔵『備前国図』による。なお本絵図記載の国高28万6199石9斗4升6合は郡高合計より6升少ない。また本絵図記載の国高は「日本国知行高之覚」記載の国高より5升4合少ない。
  15. ^ a b c d 本表の周防国・長門国の慶長石高は宇部市立図書館蔵『周防長門十四郡高辻絵図』による。なお本絵図記載の周防国の国高16万4420石2斗1升2合は「日本国知行高之覚」記載の国高より1升2合多い。また本絵図記載の長門国の国高13万4059石9斗9升1合は「日本国知行高之覚」記載の国高より9升1合多い
  16. ^ a b 本表の小豆島の慶長石高は笠井亨氏蔵『小豆島図』により、本絵図記載の国高は「日本国知行高之覚」記載の国高と完全に一致する。
  17. ^ a b 本表の土佐国の慶長石高は東京大学総合図書館蔵南葵文庫『土佐国絵図』による。なお本絵図記載の慶長郡高はその多くに誤写がみられるため、『寛文朱印留』記載の郡高により修正した。なお本絵図記載の国高20万2626石5斗は勺以下の桁が切り捨てられており、郡高合計より2升少ない
  18. ^ a b 本表の筑前国の慶長石高は福岡市博物館蔵『慶長筑前国絵図』及び鍋島報效会蔵『慶長年中肥前国絵図』による。なお本絵図記載の筑前国の国高合計52万2512石6斗0升6合9勺は「日本国知行高之覚」記載の国高より2斗0升6合9勺多い
  19. ^ a b 本表の豊後国の慶長石高は臼杵市立臼杵図書館蔵『豊後絵図』によるが、郡高合計37万8592石4斗4升9合は「日本国知行高之覚」記載の国高より4勺9合多い
  20. ^ a b 本表の肥前国の慶長石高は鍋島報效会蔵『慶長年中肥前国絵図』によるが、松浦郡の慶長石高は松浦史料博物館蔵国絵図により補った。なお郡高合計56万1437石7斗7升6合3勺9才は「日本国知行高之覚」記載の国高より3斗7升6合3勺9才多い
  21. ^ a b 本表の肥後国の慶長石高は永青文庫蔵『肥後国絵図』によるが、熊本藩領分の石高は以下の論文を参考に修正した。
    • 松本寿三郎, 「肥後国検地帳の再検討(二): 「慶長国絵図」と慶長期の村高」
    なお郡高合計57万2755石4斗1升7合は「日本国知行高之覚」記載の国高より233石5斗8升3合少ないが、これは国絵図に記載のない米良山の石高(正保郷帳で246石1斗2升)にほぼ相当する。
  22. ^ a b 本表の壱岐国の慶長石高は松浦史料博物館蔵『平戸分領並壱岐嶋田畠目録』による。なお本郷帳には郡高の記載がないが、村高集計により壱岐郡・石田郡の郡高を算出した。また本郷帳の国高1万5732石3斗2升9合3勺8才に寺社領250石0斗0升2合5勺9才を加算すると合計1万5982石3斗3升1合9勺6合となり、「日本国知行高之覚」記載の国高より3升1合9勺6合多い
  23. ^ 寛永十年巡見使国絵図高は、以下の文献による。
    • 川村博忠, 『寛永十年巡見使国絵図日本六十余州図』, 柏書房, 2002年.
    また尾張、播磨、小豆島の石高は佐賀県立図書館の蓮池文庫の「日本総図」などにより補った。川村博忠によると、この日本総図は寛永巡見使国絵図をもとに寛永12年(1635年)頃に作成されたとみられる。
  24. ^ 伊勢国の旧高旧領取調帳の内、桑名藩領分に「明治(2)己巳年ヲ用ユ」との記載あり。
  25. ^ a b c 千葉県編纂の旧高旧領取調帳の内、安房国の一部の村高に「明治4年改増」、上総国の一部の村高に「天保6年改増」「天保12年改増」「嘉永3年改増」「嘉永6年改増」「安政5年改増」「文久3年改増」「明治2年改増」「明治4年改増/減」「明治6年改増」、下総国の一部の村高に「天保6年改増」「天保10年改増」「天保11年改増」「天保13年改増」「天保14年改増」「天保15年改増」「弘化2年改増」「弘化3年改増」「弘化4年改増」「嘉永2年改増」「嘉永3年改増」「嘉永4年改増」「嘉永5年改増」「嘉永6年改増」「嘉永7年改増」「安政2年改増」「安政6年改増」「文久3年改増」「慶応2年改増」「慶応3年改増」「明治年中改増」「明治元年(中)改減」「明治2年2月改増/減」「明治3年改増」「明治4年(中)改増/減」「明治4年2月改減」「明治4年3月改増/減」「明治4年6月改増/減」「明治4年10月改増/減」「明治4年11月改増/減」「明治4年12月改増/減」「明治5年(中)改増/減」「明治5年3月改減」「明治5年10月改増」「明治5年12月改増」「明治6年改増」「年月不詳改減」との記載あり。
  26. ^ 常陸国の旧高旧領取調帳の一部の村高に「辛未上知改高」「辛未改入高」(明治4年)との記載あり。
  27. ^ 磐城国の旧高旧領取調帳の内、宮城県管轄の刈田郡・伊具郡・亘理郡の3郡分に「明治2年取調旧高」、白河郡の内高田藩領分に「本文ノ廉辛未年間新規高受相成候分」(明治4年)、菊多郡分に「明治9年取調旧高」との記載あり。
  28. ^ 秋田県管轄の陸中国鹿角郡分の旧高旧領取調帳に「明治5壬申年取調旧高」との記載あり。
  29. ^ 若松県管轄の越後国東蒲原郡分の旧高旧領取調帳に「明治4年調高」との記載あり。
  30. ^ a b 丹波国氷上郡多紀郡の2郡分は旧高旧領取調帳が現存しない。
  31. ^ a b c d e 丹後国・美作国・備前国・備中国・伊予国の旧高旧領取調帳の内、一部の村高に「(明治)4年旧高」との記載あり。
  32. ^ 岩代国の旧高旧領取調帳の内、信夫郡足守藩領分に「明治3年取調旧高」、若松県管轄の会津郡・大沼郡・耶麻郡・河沼郡の4郡分に「明治4年取調旧高」との記載あり。また明治8年に磐城国石川郡から岩代国岩瀬郡へ移管となった2村に関しては「明治元年取調旧高」との記載あり。
  33. ^ a b c d 岩手県管轄の陸前国気仙郡分、越前国内の吉田郡・南条郡の2郡分、三重県管轄の紀伊国北牟婁郡・南牟婁郡の2郡分、山形県管轄の羽後国飽海郡分の旧高旧領取調帳に「明治元年取調旧高」との記載あり。
  34. ^ 肥後国求麻郡分の旧高旧領取調帳に「明治4合併新置県ノ際郷村受取ノ節旧高」との記載あり。
  35. ^ 明治9年(1876年)5月25日の第2次府県統合により青森県から岩手県へ移管された陸奥国二戸郡に関しては旧高旧領取調帳の重複があるが、岩手県提出の『厳手県管轄旧高取調帳』では「明治元年取調旧高」と記載されているのに対し、明治9年10月付で青森県が提出した旧高旧領取調帳では「明治4年旧県ヨリ郷村受取高」と記載されている。
  36. ^ a b c 大分県管轄の豊前国下県郡・宇佐郡の2郡分の旧高旧領取調帳には、大分県管轄の豊後国と同様に調査年度の記載がない。
  37. ^ a b c 壱岐国・対馬国の旧高旧領取調帳には調査年度の記載がないが、同じ長崎県管轄の肥前国の旧高旧領取調帳の冒頭に「明治6年取調旧高」の記載があるのでここに分類する。
  38. ^ a b c 日向国の旧高旧領取調帳には調査年度の記載がないが、同じ鹿児島県管轄の大隅国・薩摩国の旧高旧領取調帳に「明治12年取調旧高」との記載があるのでここに分類する。
  39. ^ a b 琉球国・松前嶋(蝦夷地)に関しては、そもそも旧高旧領取調帳が作成されたかどうか不明である。
  40. ^ 享保6年の旧国別田畑町歩は以下の資料による。なお奄美群島を含む琉球と蝦夷・松前は調査の対象外になっている。
    • 司法省調査課, 「諸国領知田畑町歩並人数可書出旨御書付」, 『司法資料 第百八十三号 徳川禁令考 (第六帙)』, 「第六十六章 戸籍調査統令」, p. 571 (1932).
  41. ^ 享保6年の領民人口は以下の論文による。
    • 須田昭義, 「徳川時代人口に関する新資料」, 人類学雑誌, 63, pp. 146-148 (1954).
    • 尾口義男, 「薩摩藩の人口」, 『黎明館調査研究報告』, (11号), pp. 87-134 (1998).
    なお『三暇謾録』収録の享保6年の幕府人口調査では蝦夷・松前の人口1万5615人が総人口2606万5422人に加算され、奄美群島を含む琉球の人口が除外されているが、本表では蝦夷・松前の人口を除外する。また奄美群島・本琉球の人口として、鹿児島県立図書館所蔵『大御支配次第帳』収録の享保内検期の道之島の百姓人口(6万2304人)と中山王領人口(12万9642人)を参考として掲載するが、これらの人口が享保6年調査によるものかどうかは不明であるため、斜体で示す。
  42. ^ 明治15年農務省調査の民有第一種反別は以下の資料による。なお奄美群島は既に大隅国へ帰属していたが、『府県地租改正紀要』(1882年)において大隅国大島郡は集計の対象外となっており、本表でも奄美群島は集計の対象外となっている。同様に沖縄県・北海道も集計の対象外になっている。
    • 農商務省農務局, 『第三次農務統計表』, 「第二 民有地一種国別 明治十五年六月調査」, (1883).
  43. ^ 明治14年内務省調査の面積は以下の資料による。
    • 内務省編, 『七十三州面積概算』, (1881).
    • 内務地理局, 『地理局雑報 第五号』 (1878).
    なお奄美群島の面積(『地理局雑報』によると101.02方里 (約1,558.1 km2))は『七十三州面積概算』においては薩摩国の面積に含まれるが、本表では除外して琉球国の面積に加算した。
  44. ^ 明治6年の本籍人口は以下の資料による。
    • 内務省戸籍寮, 『日本全国戸籍表 紀元弐千五百三拾三 明治六年調』, (1875).
    • 正院地誌課編, 『日本地誌提要 巻之七十三』, (1877).
    なお奄美群島の本籍人口(『日本地誌提要』によると明治6年に10万8426人)は『日本全国戸籍表』においては薩摩の本籍人口に含まれているが、本表では除外して琉球国の本籍人口に加算した。
  45. ^ a b c d 本表の陸奥国会津領の正保石高は国立公文書館蔵『正保岩代国絵図』によるが、小川庄(東蒲原郡)の石高9113石7斗5升6合は越後国の石高に加算し、陸奥国会津領の石高28万0510石7斗9升0合7勺より除した。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている陸奥国会津領の正保石高は国立公文書館蔵『文禄三年 七月 猪苗代・南山・津川・伊南伊北高目録帳』、『文禄三年 七月 稲川・河沼・門田・大沼・山郡高目録帳』による。これらの文書(通称『蒲生領高目録』)は蒲生氏郷の文禄検地の結果をまとめたものであって正保郷帳ではないが、会津藩の公称石高に対応すると考えられる。以下に『蒲生領高目録』と『正保岩代国絵図』記載の石高をまとめる。
    郡名 蒲生領高目録 正保国絵図
    猪苗代 20,424.82 20,622.5530
    南山 17,787.69 19,514.4237
    小川庄 9,131.60 9,113.7560
    伊南伊北 9,607.37 10,713.2370
    稲川郡 35,418.06 35,004.4520
    河沼郡 19,926.87 20,554.3430
    門田郡 17,170.22
    大沼郡 57,850.98 77,635.2260
    山郡 78,842.45 81,306.6170
    安積郡之内 6,027.6330
    岩瀬郡之内 18.5500
    総計 266,160.06 280,510.7907
  46. ^ a b c d 奄美群島は薩摩藩の事実上の直轄領(蔵入地)であったが、江戸時代を通じて対外的には琉球国の一部として集計されていた。明治維新後は明治12年(1879年)に大隅国大島郡が設置されるまで薩摩国の一部とされるなど、帰属が流動的である。
  47. ^ 本表の大和国の正保石高は国立公文書館蔵『正保大和国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』などにより、以下の論文を参考に郡高を改訂した。
    • 小田匡保, 「ライデン大学所蔵の大和国絵図について」, 駒澤地理, 45号, pp. 37-42 (2009年).
    • 小田匡保, 「大和国絵図諸本の系譜について―大和国絵図に描かれた大峰・再論―」,歴史地理学, 43巻 (5号),pp. 1-20 (2001年).
    以下に奈良県立図書館蔵玉井家文書『寛永十六年 給所御代官替之分大和州著聞記』と『正保大和国絵図』記載の郡高をまとめる。
    郡名 寛永16年郷村帳 正保国絵図
    添上郡 55,626.8290 55,954.2410
    添下郡 35,265.7760 34,941.4060
    山辺郡 45,948.2950 47,468.4430
    城上郡 20,852.3060 26,393.2670
    城下郡 22,425.9130 22,425.9550
    十市郡 34,776.0350 34,690.9796
    高市郡 40,801.7395 40,786.6840
    宇多郡 31,221.2110 31,235.0470
    吉野郡 33,471.5870 32,969.1480
    宇智郡 15,753.3420 16,241.7190
    葛上郡 20,959.0840 28,053.1400
    忍海郡 5,565.3420 5,565.3420
    葛下郡 36,357.8310 37,546.6380
    広瀬郡 15,937.9980 15,937.7680
    平群郡 28,962.6700 29,170.8470
    総計 444,056.9200 459,380.6246
  48. ^ 本表の和泉国の正保石高は国立公文書館蔵中川忠英旧蔵本『正保和泉国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている和泉国の正保石高は岸和田市出口家文書『和泉国正保村高帳』によるが、本文書は正保郷帳の下帳とみられる。以下に『和泉国正保村高帳』と『正保和泉国絵図』記載の郡高をまとめる。
    郡名 正保村高帳 正保国絵図
    大島郡 43,151.427 43,206.337
    泉郡 28,488.630 28,642.764
    南郡 33,122.102 33,472.951
    日根郡 54,355.568 54,004.719
    総計 159,117.727 159,326.771
  49. ^ 本表の摂津国の正保石高は国立公文書館蔵『正保摂津国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている摂津国の正保石高は岸和田市出口家文書尼崎市岸岡家文書『慶安元年 摂津国郷帳』によるが、本文書は正保郷帳の下帳とみられる。『慶安元年 摂津国郷帳』と『正保摂津国絵図』で石高が異なる郡は以下の通りである。
    郡名 慶安元年郷帳 正保国絵図
    菟原郡 11,194.459 11,194.569
    川辺郡 61,295.359 61,277.465
    西成郡 40,197.261 40,212.261
    東成郡 32,714.036 32,699.036
    総計 375,496.755 375,478.860
  50. ^ 本表の伊勢国の正保石高は明治大学博物館蔵板倉家文書『伊勢国高郷帳』によるが、国高は郡高合計より3合少ない
  51. ^ 本表の尾張国の正保石高は徳川林政史研究所蔵『正保三年 尾張之郷帳』によるが、愛知県図書館蔵『尾張国図 西』により丹羽郡の石高を6万3916石4斗3升6合から6万3497石3斗7升に改訂した。なお本文書の郡高は以下のように新田高・寺社高を含むが、愛知県図書館蔵『尾張国図 西』でも同様に新田高込みの郡高が記載されており、本表もこれに従う。
    郡名 合計 本田 寺社領 新田
    愛知郡 78,184.281 71,762.142 2,390.213 4,031.926
    春日井郡 108,165.924 104,742.856 1,881.255 1,541.813
    丹羽郡 63,497.370 57,288.585 1,174.371 5,034.414
    葉栗郡 14,146.847 13,451.742 231.000 464.105
    中島郡 85,218.560 79,397.886 769.677 5,050.997
    海東郡 86,078.370 77,678.208 2,067.665 6,332.497
    海西郡 23,250.913 12,169.300 11,081.613
    知多郡 67,951.245 66,043.447 601.170 1,306.628
    総計 526,493.510 482,534.166 9,115.351 34,843.993
  52. ^ 本表の遠江国の正保石高は篠山教育委員会蔵『遠江国郷帳』(『静岡県史 資料編9 付録 正保郷帳(遠江)、元禄・天保郷帳(遠江・駿河・伊豆)』収録)、篠山市青山歴史村蔵『正保遠江国絵図』による。なお国立公文書館蔵『正保遠江国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』の長上郡の石高2万2633石2斗4升は、長上郡東大塚村(秋鹿長兵衛御代官所)37石4斗8升が加算されていないと考えられる。また『遠江国郷帳』記載の国高は郡別石高の合計より1合3勺多いが、『遠江国郷帳』の村高は勺以下の石高が切り捨てられており、一部の郡高も勺以下の石高が切り捨てられていると考えられる。そこで城東郡の石高は『正保・元禄・天保・明治村高比較表』に従い3勺加算した(この改訂によっても依然として国高は郡高合計より1合多い)。
  53. ^ 本表の駿河国の正保石高は静岡県島田市長谷川家文書『寛永改駿河国高附帳・下』(駿東・富士郡)、『静岡県志太郡誌』所収「慶安二年駿河国高附」(志太・益津郡)、『駿河志料』など、複数の文書による。なおこれらの文書の郡高は以下のように新田高・新々田高等を含むが、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』、『寛永改駿河国高附帳・下』、『駿河志料』で新田高・新々田高込みの石高を国高としており、本表でもこれに従う。
    内訳 志田郡 益津郡
    合計 田方 畑方 寺領 社領 合計 田方 畑方 寺領 社領
    本田 33,354.617 30,404.778 2,949.839 11,621.600 10,251.475 1,370.125
    新田 1,714.569 1,511.601 202.969 121.079 112.162 8.917
    新々田 536.957 381.532 155.425
    畑方新田 42.385 42.385
    寺社領 511.650 327.050 184.600 82.000 72.000 10.000
    永高 永847貫444文 永63貫772文 永780貫120文 永3貫552文
    石高総計 36,117.793 32,297.911 3,308.233 327.050 184.600 11,867.064 10,363.637 1,421.427 72.000 10.000

    なお本表の郡高合計は、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』、『寛永改駿河国高附帳・下』、『駿河志料』などに記載の国高より4斗3升6合少ない。

  54. ^ 本表の甲斐国の正保石高は国立公文書館蔵『正保甲斐国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』によるが、国高は郡高合計より4斗多い(『正保・元禄・天保・明治村高比較表』には鉛筆による国高の修正があるが無視)。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている甲斐国の正保石高は同『正保甲斐国絵図』記載によるとしているが、おそらく国絵図記載の村高の合算によるものと思われる。以下に和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』が採用している郡高と『正保甲斐国絵図』記載の郡高をまとめる。
    郡名 村高合算 正保国絵図
    都留郡 19,105.030 18,418.020
    山梨郡 64,214.186 66,843.773
    八代郡 52,273.260 55,437.525
    巨摩郡 98,161.725 100,962.988
    総計 234,327.381 241,662.706
  55. ^ 本表の相模国の正保石高は東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』によるが、本文書では三浦郡と高座郡の斗以下の石高が切り捨てられている。そこで津久井町史編纂委員会編『ふるさと津久井』所収「慶安年間写 相模国絵図」により、三浦郡、高座郡の斗以下の石高と、相模国高の升以下の石高を補ったが、改訂後も国高は郡高合計よりも6合多い
  56. ^ a b 武蔵国の国絵図は原則として一国一枚で作られているが、元禄郷帳と天保郷帳は二分冊にまとまめられた。そこで本表では武蔵について二つに分割した小計を示す。
  57. ^ 武蔵国多摩郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は東京府分1万1777石9斗4升3合9勺8才と神奈川県分12万7796石3斗7升3合6勺を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  58. ^ 武蔵国足立郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は東京府分1万8932石8斗7升8合5勺と埼玉県分13万0580石2斗8升7合2勺9才を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  59. ^ 武蔵国葛飾の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は東京府分5万1767石2斗0升6合3勺3才と埼玉県分6万8270石4斗2升9合2勺6才を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  60. ^ 本表の上総国の正保石高は国立公文書館蔵『正保上総国絵図』によるが、郡高は国絵図記載の村高の集計によるものであり、斗以下の石高は切り捨てられている。
  61. ^ 本表の下総国の正保石高は東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。
  62. ^ 本表の常陸国の正保石高は国立公文書館蔵『正保常陸国絵図』によるが、常陸国石高総計は郡別石高の合計よりも4万石多い。そこで本表では菊地利夫『続・新田開発』、和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』らの再現に従い、新治郡の石高を5万5485石0斗5升2合から4万石多い9万5485石0斗5升2合に改訂した。
  63. ^ 本表の近江国の正保石高は滋賀県立図書館蔵『近江国知高辻郷帳』によるが、本文書では郡高合計より加高として22石0斗9升1合を差し引いた83万0594石4斗2升6合を国高として記載している。これに対し滋賀県立図書館蔵『正保近江国絵図』では国高として郡高合計を記載しており、本表もこれに従う。
  64. ^ 本表の美濃国の正保石高は岐阜県立歴史資料館蔵小川家文書『正保四年 美濃国郷帳』(『岐阜県史 史料編近世一』収録)によるが、本文書では郡高合計に新田(新開)高1万8225石1斗1升3合を加えた62万7966石1斗1升2合を国高として記載している。これに対し国立公文書館蔵『正保美濃国絵図』では新田高を除した国高を記載しており、本表もこれに従う。
  65. ^ 本表の下野国の正保石高は栃木県芳賀町吉永家文書『慶安元年 下野国郡分高帳』、東京大学史料編纂所蔵秋元家文書『慶安元年 東野地誌』、日光市輪王寺蔵『下野国九郡郷村高之覚』などによるが、国高は郡高合計よりも1升少ない。同様に下野国総村数は郡別村数合計よりも3村少ない。また国立公文書館蔵『正保下野国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、合以下の石高が切り捨てられており、国高は56万6975石6斗1升と、さらに1升少ない。なお『下野国九郡郷村高之覚』には惣計56万6975石6斗2升、寺社領2758石3斗、新田高4万9858石4斗1升、惣計61万8592石3斗3升との記載があり、また『正保下野国絵図』や『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では寺社領2758石3斗、総計56万8733石9斗1升との記載がある。本来寺社領高は石高に含めるべきものであり、本表では国絵図の記載に従い寺社領の石高を郡高合計に加算した。
  66. ^ 元禄郷帳の陸奥国総村数は郡別村数合計よりも2村少ない。
  67. ^ 本表の陸奥国白河・二本松・三春領の正保石高は須賀川市立博物館蔵『寛文十二年写 白河・石川・岩瀬・田村・安積・安達六郡絵図』記載の領分別石高集計による。また田村郡の石高は、国立公文書館蔵『正保岩代国田村郡絵図』による。なお『寛文十二年写 白河・石川・岩瀬・田村・安積・安達六郡絵図』には郡高は記されていないが、村高と領分別石高が記されている。そこで白河藩の寛永20年の郡別本田高(『白河市史 資料編4』収録)、『寛文朱印留』における二本松藩の郡別知行高との比較により正保郡高を以下のように算出した。
    郡名 村高合計 郡高 御蔵入 白河藩 二本松藩 三春藩
    白河郡 40,089 40,006.661 40,006.661
    石川郡 30,831 30,723.217 30,723.217
    岩瀬郡 52,211 51,308.395 51,308.395
    田村郡 88,588 87,536.067 14,417.791 18,115.596 55,002.680
    安達郡 71,915 69,781.439 69,781.439
    安積郡 31,535 31,172.726 31,172.726
    総計 315,169 310,528.505 14,417.791 140,153.869 100,954.165 55,002.680

    なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている陸奥国白河・二本松・三春領の正保石高は『寛文十二年写 白河・石川・岩瀬・田村・安積・安達六郡絵図』記載の村高の集計による。

  68. ^ 岩代国安積郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は若松県分1万2123石2斗9升1合8勺4才と福島県分4万0995石1斗0升4合7勺6才を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  69. ^ 国立公文書館蔵『六拾餘州郡名村数高附記』記載の陸奥国白川郡の元禄石高は4万1959石2斗だが、陸奥国の元禄石高は郡高合計より1斗8升少ない。そこで大野瑞男の推論に従い白川郡の石高の2斗を2升に改訂した。
  70. ^ a b 磐城宇多郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は磐前県分と宮城県分の石高を分けて記載しており、合計の郡高は3万6837石となる。
  71. ^ 本表の陸奥国南部領の正保石高は盛岡市立公民館蔵南部藩文書『寛永期奥州之内南部領高郷村帳』による。但し本文書では南部領の総石高を10万5065石9斗5升1合としているが、同じ文書内で内検高22万2400石余、都合高10万0550石余との記述があり、本表の陸奥国南部領の石高総数も小岩末治編『寛永期「正保4年」奥州之内南部領高郷村帳並びに解説』により10万0550石1斗6升5合に改訂した。
  72. ^ 本表の出羽国の正保石高は東京都千代田区千秋文庫文書『出羽国知行高目録』による。但し山本郡と豊島郡の石高は、『秋田県史 史料近世編下』収録「出羽国油利郡内高目録 岩城但馬守領分」、「出羽国油利郡之内知行高帳 生駒壱岐守」により亀田藩の飛び地(山本郡606石7斗8升、豊島郡523郡1斗0升8合)、矢島藩の飛び地(山本郡1000石)の石高を追加改訂した。
  73. ^ 羽前国置賜郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は置賜県分29万5671石5斗4升3合と山形県分4万1569石3斗7升2合を分けて記載しているが本表ではその合計値を郡高として示す。
  74. ^ a b 本表の越前国の正保石高は福井県立図書館蔵 松平文庫『正保三年越前国知行高之帳』によるが、国高は郡高合計より6合少ない
  75. ^ 本表の越後国の正保石高は新発田市立図書館蔵『越後国絵図』によるが、国高は郡高合計より1升少ない。なお国絵図からは小川庄(東蒲原郡)が除外されているが、本表では『正保岩代国絵図』記載の小川庄の石高を正保越後国高として補った。
  76. ^ 越後国蒲原郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は新潟県分52万0242石8斗8升4合5勺8才と若松県分1万7387石6斗3升6合を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  77. ^ 本表の丹波国の正保石高は篠山市立青山歴史村蔵『正保丹波国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている丹波国の正保石高は京都府立総合資料館蔵『正保丹波国絵図』による。京都府立総合資料館蔵と篠山市立青山歴史村蔵の正保国絵図で石高が異なる郡は以下の通りである。
    郡名 京都府立総合資料館 篠山市立青山歴史村
    桑田郡 49,008.000 49,005.849
    船井郡 41,253.000 41,253.458
    総計 289,829.146 289,829.147
  78. ^ 本表の但馬国の正保石高は国立公文書館蔵『正保但馬国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている但馬国の正保石高は京都府立総合資料館蔵『正保但馬国絵図』による。京都府立総合資料館蔵と国立公文書館蔵の正保国絵図で石高が異なる郡は以下の通りである(国高は同一)。
    郡名 京都府立総合資料館 国立公文書館
    朝来郡 20,675.911 20,388.521
    養父郡 20,391.155 20,675.275
    出石郡 24,735.377 24,735.975
    気多郡 17,549.525 17,549.177
    美含郡 11,094.550 11,094.685
    城崎郡 19,999.600 19,999.389
  79. ^ 本表の出雲国の正保石高は国立公文書館蔵『正保出雲国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている出雲国の正保石高は島根県古代文化センター蔵『正保出雲隠岐国絵図』による。島根県古代文化センターと国立公文書館蔵の正保国絵図で石高が異なる郡は以下の通りである。
    郡名 島根県古代文化センター 国立公文書館
    島根郡 22,695.966 22,695.9666
    出東郡 18,188.000 18,188.8550
    総計 186,000.000 253,597.6476
  80. ^ 本表の石見国の正保石高は国立公文書館蔵『正保石見国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている石見国の正保石高は津和野町郷土館蔵『正保石見国絵図』による。津和野町郷土館と国立公文書館蔵の正保国絵図で石高が異なる郡は以下の通りである。
    郡名 島根県古代文化センター 国立公文書館
    安濃郡 13,496.785 13,500.069
    邑智郡 31,755.927 31,755.726
    那珂郡 36,188.699 36,188.689
    美濃郡 26,897.757 26,897.747
    総計 139,242.991 139,401.537
  81. ^ 本表の備中国の正保石高は学附属図書館蔵池田文庫『備中国十一郡之帳』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』によるが、国高は郡高合計より1合多い
  82. ^ 本表の安芸国の正保石高は「元和五年芸備初知郷村帳字面写上 安芸国御知行帳」(『広島県史 近世資料編II』収録)、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお「元和五年芸備初知郷村帳字面写上 安芸国御知行帳」では広島新開1329石1斗8升、広島町はずれ372石1斗9升を郡高合計に合算した26万8862石5斗5升6合を安芸国の国高として記述しているが、国立公文書館蔵『正保安芸国絵図』、『正保・元禄・天保・明治村高比較表』ではこれらの新開高を国高に含めておらず、本表もこれに従う。
  83. ^ 紀伊国牟婁郡の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は和歌山県分6万7851石1斗0升2合9勺8才と度会県分3万6053石0斗6升6合を分けて記載しているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  84. ^ 本表の讃岐国の正保石高は国立公文書館蔵『正保讃岐国絵図』、東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』による。なお和泉清司『近世前期 郷村高と領主の基礎的研究』で採用されている讃岐国の正保石高は「寛永十七年讃岐国郡村并惣高覚帳」(『香川叢書 2巻』収録)によるが、本文書の石高は内高とみられる。以下に「寛永十七年讃岐国郡村并惣高覚帳」と『正保讃岐国絵図』の石高をまとめる。
    郡名 寛永17年惣高覚帳 正保国絵図
    大内郡 12,816.813 10,086.540
    寒川郡 16,519.517 13,618.658
    三木郡 10,778.421 11,645.477
    山田郡 24,784.986 18,239.080
    香東郡 17,044.182 12,210.225
    香西郡 14,307.498 8,706.778
    南条郡 16,452.885 11,423.421
    北条郡 7,854.024 6,374.538
    鵜足郡 22,168.455 16,249.127
    那珂郡 25,480.550 19,311.078
    多度郡 18,395.725 14,741.610
    三野郡 26,374.902 19,143.641
    豊田郡 16,912.614 11,804.054
    総計 232,948.937 173,554.227
  85. ^ 讃岐国直島・男木島・女木島の明治5年石高に関し、東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』は直島542石0斗2升2合、男木島89石0斗4升6合、女木島154石8斗を分けて記載しているが、本表ではその合計値を島高として示す。
  86. ^ 本表の伊予国の正保石高は愛媛県立図書館蔵『慶安元年 伊予国知行高郷村数帳』によるが、伊予国の総村数は郡別村数合計よりも3村多い。
  87. ^ 本表の伊予国の明治5年郡高は陸軍参謀局編『明治八年 共武政表』による。
  88. ^ 本表の土佐国の正保石高は国立公文書館内閣文庫『寛文四年土佐国知行高村数之帳』による。なお東京大学史料編纂所蔵『正保・元禄・天保・明治村高比較表』では、いわゆる寛文朱印高が採用されている。
  89. ^ 筑前国怡土郡の慶長石高に関し、福岡市博物館蔵『慶長筑前国絵図』には黒田領の石高1万6105石4斗6升8合が、鍋島報效会蔵『慶長年中肥前国絵図』には寺沢領の石高2万0096石5斗7升5合6勺がそれぞれ分割して記載されているが、本表ではその合計値を郡高として示す。
  90. ^ 本表の筑後国の正保石高は「久留米藩領古図」(『福岡県資料 第1輯』収録)、柳川市古文書館蔵『寛保年間旧柳川藩領地図』による。また『米府紀事略之五』に従って筑後国の正保石高を以下のように改訂した。
    領分 本田高 田方 畠方
    久留米藩 211,846.9100 156,309.7963 55,537.1137
    柳川藩 109,647.1970 91,842.6670 17,804.5300
    三池藩 10,003.6600 7,528.9020 2,474.7580
    総計 331,497.7670 255,681.3653 75,816.4017

    なお久留米藩の郡高は『久留米藩領古図』によるが、大部分の郡高が斗以下の数字を切り捨てているため、『米府紀事略之五』記載の石高は郡高合計より3石4斗8升多い。また柳川藩の郡高は『寛保年間旧柳川藩領地図』によるが、石高総計は郡高合計より3斗8升3合多い。両者を合算した国高は郡高合計より3石8斗6升3合多い

  91. ^ 本表の豊前国の正保石高は「豊前六郡図」(『福岡県資料 第2輯』収録)による。なお本六郡図は元々含まれていた下毛郡、宇佐郡が欠落しているが、中津藩の寛永11年領知目録による領知高8万石の内訳(上毛郡6647石0斗9升、下毛郡3万1967石2斗4升2合、宇佐郡4万1385石6斗6升8合)と宇佐郡内の御蔵入1万4787石6斗7升1合より、上毛郡と下毛郡の石高を算出した。また六郡図には仲津郡の石高が2万7211石と記載されているが、斗以下が切り捨てられていると判断し、2万7211石7斗2升6合に改訂した。
    郡別 合計 小倉藩 中津藩 御蔵入
    規矩郡 29,910.640 29,910.640
    田川郡 35,649.137 35,649.137
    京都郡 22,926.609 22,926.609
    仲津郡 27,211.726 27,211.726
    築城郡 15,050.477 15,050.477
    上毛郡 25,898.501 19,251.411 6,647.090
    下毛郡 31,967.242 31,967.242
    宇佐郡 56,173.339 41,385.668 14,787.671
    総計 244,787.671 150,000.000 80,000.000 14,787.671
  92. ^ 本表の肥前国の正保郷帳石高は佐賀県立図書館蔵・鍋島報効会文書「正保年間肥前国絵図」の礼紙記載の郡高附による。なお肥前国藤津郡の正保石高は国絵図の藤津郡内村高合計との比較から2万0750石0斗8升4合より1万石多い3万0750石0斗8升4合に改訂した。
  93. ^ a b c d e 本表の肥前国の明治5年高68万5117石5斗9升7合6勺2才(佐賀県43万0449石0斗7升6合1勺5才、長崎県25万4668石5斗2升1合4勺7才)は太政官正院地誌課編『日本地誌提要』による。なお東京大学史料編纂所蔵『郡村石高帳』では高36万5416石6斗3升6合2勺7才、地米31万9700石2斗6升1合3勺5才、合計68万5116石8斗9升7合6勺2才となっており、『日本地誌提要』の国高より7斗少ない。また佐賀県内の郡高は「佐賀県官省進達明治六年七月八月分」(佐賀県議会史編纂委員会編『佐賀県議会史 下巻』所収)に、長崎県内の郡高は総務省統計図書館蔵『明治六年 国郡高反別調 下』によるが、それぞれの資料での佐賀県の石高は43万0449石0斗7升6合1勺、長崎県の郡高合計は25万4668石5斗2升1合4勺2才であり、『日本地誌提要』の県別石高よりそれぞれ5才少なく、「佐賀県官省進達明治六年七月八月分」記載の佐賀県の石高は郡高合計よりも600石0斗1升多い。そこで郡高については誤記(壱/七、二/三)や脱落があると判断し、佐賀県管轄の養父郡の石高を1万9610石3斗2升8合6勺から1升多い1万9610石3斗3升8合6勺に(「佐賀県官省進達明治六年七月八月分」記載の三根郡の石高も「二升」を含むが、こちらは『旧高旧領取調帳』の石高と完全に一致する)、杵島郡の石高を6万7145石4斗8升2合9勺から600石多い6万7745石4斗8升2合9勺(『旧高旧領取調帳』記載の石高は『共武政表』記載の石高より604石多い)に改訂し、佐賀県管轄の松浦郡の石高(「佐賀県官省進達明治六年七月八月分」に旧佐賀県分として所属郡が示されていない1万1664石3斗4升2合3勺5才の石高の存在が示唆されるが、『旧高旧領取調帳』記載の松浦郡内の旧佐賀藩管轄1万1618石5斗3升4合3勺5才に対応する)と長崎県管轄の高来郡の石高(他の長崎県管轄の松浦郡・彼杵郡の石高は才の桁まで表示されている)に5才を加算した。また肥前国松浦郡の明治5年石高に関し、本表では改訂した佐賀県分10万5739石8斗5升4合6勺5才と長崎県分10万5060石3斗8升3合8勺9才の合計値を郡高として示す。
  94. ^ 本表の肥後国の正保石高は熊本大学付属図書館寄託永青文庫文書『正保三年 肥後国郷牒』による。なお本郷帳は郡高の外に米良山新開高246石1斗2勺の記述があり、肥後国の石高にも集計されている。外に新田高3万8091石2斗9升の記述があることから、本郷帳における米良山新開高は本高の一部と判断し、本表では米良氏領を求磨郡の石高に加算した。
  95. ^ 本表の大隅国の明治5年郡高は陸軍参謀局編『明治八年 共武政表』による。
  96. ^ 薩摩国・琉球国の正保石高は東京大学史料編纂所蔵の正保国絵図によるが、これらの国絵図は勺以下の数字を切り捨てており、本表の薩摩国・琉球国の正保郷帳高は天保郷帳石高で勺以下の桁を改訂した。
  97. ^ 本表の薩摩国の明治5年郡高は陸軍参謀局編『明治八年 共武政表』による。
  98. ^ 本表の壱岐国の明治5年郡高は陸軍参謀局編『明治八年 共武政表』による。






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