日本の消防
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/27 19:31 UTC 版)
常備化と広域化
市町村に消防本部・署が設置されることを常備化というが、全ての市とほぼすべての町村が常備化されている。常備化されていない町村は2017年現在全国で離島や山間部を中心に計約30ある。
財政が困難で常備消防が持てない自治体は、多くの場合、近隣の市や町に事務委託したり、近隣の自治体と一部事務組合(消防組合)又は広域連合を設置したりする。
事務委託を行うのは、東京都(東京消防庁)を除けば主に小規模の町村が多いが、中には三重県いなべ市(桑名市へ委託)や群馬県みどり市(桐生市へ委託)、大阪府高石市(堺市へ委託)のような例もある[注釈 3]。
近年、総務省消防庁の指導により[2]、例えば鳥取県や奈良県では県内の消防本部が3つに統合されるなど、広域化が進んでいる。
消防広域応援
大規模災害や特殊災害に当たっては、災害発生地の消防だけで対応できないことがある。そのため、消防相互応援協定の締結などによって、市町村消防の間で消防広域応援が実施されている。一つの都道府県内で全市町村・消防一部事務組合が統一の応援協定を結ぶのが一般的であるが、都道府県境を超えて隣接市町村間などで応援協定が結ばれることもある。
しかし、都道府県内の消防力をもってしても対応できない災害の場合は、他都道府県から消防応援を受けることとなる。そのための制度が緊急消防援助隊である。1995年の阪神・淡路大震災が発生した際、当時は全国的な消防応援体制が組織されていなかったため、消防の応援が必ずしも有効に機能した訳ではなかった。この教訓から全国的な消防応援組織として緊急消防援助隊が発足した。その後、2003年の消防組織法改正で、緊急消防援助隊制度が明文化・充実化され、大規模災害に対する全国規模での緊急対応体制が確立されたことになる。
また、自治省消防庁(現在の総務省消防庁)が海外で大規模災害が発生した際に消防本部から救助隊を派遣する制度として1986年4月に国際消防救助隊が発足した。1987年9月になると国際緊急援助隊の派遣に関する法律の施行に伴い、国際消防救助隊は国際緊急援助隊救助チーム(消防庁、警察庁、海上保安庁)の一員として位置づけられることになった。
消防の施設・設備
消防が十分な施設・設備を保有することが出来るよう、消防庁から「消防力の基準」と呼ばれる指針が示されている。消防力の基準に照らすと、消防の施設・設備はまだ不十分である。消防の施設・設備には、消防水利を始めとして、消防庁舎、消防車両、各種資機材、通信機器、隊員の服装などがある。
消防水利
消防庁舎
消防車両
消防無線
装備
出動の際は錣(しころ。顔と首筋を守る肩までの覆い)付き・フェイスシールド内蔵の耐火素材製(火を付けられても絶対に燃え出さず溶けるだけの)ヘルメット、防火衣(防水処理済耐火繊維で出来たハーフコート、同種のオーバーズボンと長靴)。高温の火点を抑圧する場合は耐熱服を、活動服(制式の作業服)の上に着用する。救出などで、煙が充満している建物内部に突入する場合は残圧警報器付の空気呼吸器(空気ボンベ)を背負い、これとホースで繋がった「面体」(ゴーグル一体型の呼吸用マスク)を着装、携帯警報器(トラブルで動けなくなった場合に救難信号を発する)を着ける。完全装備時の総重量は40キログラム。
防火服の着用は、出動指令後に装備ロッカー前に着いてから30秒以内に完了するよう、消防学校で徹底的に叩き込まれる。着用完了後、ヘルメットを被りながら車庫に駆け込み、機関員(運転手)がエンジンを掛けて待つ消防車に飛び乗る。この間おおよそ1分以内。
このほか、気密性の高い化学防護服(NBC防護服とも)、放射線環境下での活動のため遮蔽体が縫いこまれた放射線防護服、蜂の攻撃から防護する蜂防護服等を、状況に応じて着用する。
また個人携行型の消火装備である「インパルス消火システム」を使用することもある。
通常勤務では紺色の「活動服」「執務服」と呼ばれる作業服を着用する。出動の際はこの上から防火服や感染防止衣を着る。なお、ポンプ隊と救急隊、救助隊では活動服が異なり、救急隊は灰色ベースの「救急服」、救助隊はオレンジ色ベースの「救助服」が別に存在する。 予防業務や本部勤務者、また礼式などの際にはダブルの背広型の制服を着用する。
注釈
出典
- ^ 重過失ないと消防署員も免責 住民への賠償認めず『朝日新聞』1987年(昭和53年)7月17日夕刊、3版、11面
- ^ 『市町村の消防の広域化の推進に関する答申』(平成18年2月1日 消防審議会答申)
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