日本のゲイ文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/23 06:06 UTC 版)
概略
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日本では奈良・平安時代には仏教寺院における僧と稚児の男色(稚児愛・少年愛)が既にあり、江戸時代には武士同士の男色は「衆道」と呼ばれて盛んだった。それ以降は和歌などで同性への思慕が読まれたり、僧と稚児、公家と稚児の男色を描いた絵巻や春画などもあった。江戸時代には若衆歌舞伎や男色を売る「陰間茶屋」が栄え、また男色を描いた小説も多く存在した。
戦後のゲイ文化は芸能やゲイバー、ゲイ雑誌などと共に発展した。1947年に「奇譚クラブ」に「僕の男妾の告白」などの同性愛作品が掲載されるなど、早くから同性愛文学は書かれ、1952年9月10日には三島由紀夫らが関わった会員制ゲイ雑誌「アドニス」が創刊された。1960年代はSM雑誌ながらゲイ専用ページが常設された「風俗奇譚」も創刊され、1950年-60年代にかけては「薔薇の葬列」などのゲイ映画が欧米のメジャーゲイ映画と同時期かそれより早期に公開された。1960年代半ば頃からは新宿二丁目(東京都新宿区)にゲイバーが増え始め、ゲイ・タウンが形成されていく。二丁目コミュニティーの一部では一種のゲイ文化ともいえるオネエ言葉などが使用された[注 1]。
1970年代には「薔薇族」などの商業ゲイ雑誌の創刊ラッシュを迎え、1980年代にはゲイビデオや薔薇族映画も制作された。1970年-80年代はゲイディスコブームが起き、1989年以降はゲイナイトと呼ばれるクラブ文化(後述)が産声を上げ、その中で「ドラァグクイーン」や「GO GO BOYS」なども生まれた。ゲイ雑誌ではゲイ小説やゲイ漫画、ゲイヌードグラビアが掲載され、多くのゲイ作家が生まれた。ゲイファッション(後述)にはニチョカジやコテコテファッション、レザーが基調のハードゲイ・スタイルなどがある。
以下ではジャンル別にゲイ文化について記す。
注釈
出典
- ^ a b 2014年1月20日gladxx「【訃報】DJの中村直さんが急逝」。
- ^ JET SET, Column 中村直 Dance It's My Life Vol.8(2010-10-23)
- ^ 2011年12月24日放送アド街「新宿2丁目 Xmas SPECIAL」
- ^ 月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室祭,ネット版伊藤文学のひとりごと「祭の幕は上がった」
- ^ 2014年1月20日gladxx「追悼 伝説のDJ・中村直さんが急逝」
- ^ a b 「以上の出典は「オトコノコのためのボーイフレンド:ゲイ・ハンドブック」P81ゲイシーン(3)「クルージングゾーン(1)スナック、ディスコ」(1986年発行少年社・発売雪淫社)」
- ^ 「オトコノコノためのボーイフレンド」(1986年発行少年社・発売雪淫社)P163「ゲイニューウェーブ・関西ゲイ情報」
- ^ a b c バディ1997年4月号P387「WALKIN BADI 26 名古屋 PART2」
- ^ 別冊宝島124「SEXというお仕事〜ボクが売春夫になった理由〜」P132-133
- ^ a b c d e f g h i Badi1998年5月号P52「同じゲイなら踊らにゃソンソン」
- ^ Badi1997年4月号「DANCE IN HEAVEN」
- ^ a b Badi1997~99年各号の広告欄に東京と大阪のほか、札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、博多などでのゲイナイトの広告あり。
- ^ シャングリラ オフィシャルサイトより。
- ^ 竜超「薔薇の木にどんな花咲く?第4回」。
- ^ gladxx「ゲイ用語の基礎知識 ハウス」
- ^ Badi1997年4月号P20「ノンケの1996年は、ゲイの1993年」より。
- ^ 「異才の人 木下恵介―弱い男たちの美しさを中心に」(1999年、パンドラ出版)
- ^ コイトゥス再考#20「伏見憲明・越えがたきジェンダーという背理」。[要ページ番号]
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