手塚一志 人物

手塚一志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 21:36 UTC 版)

人物

  • 万人に共通する野球の各種必須動作をピックアップしたとする「正体」シリーズを皮切りに、数々のスポーツ動作に関する著書、ビデオを発表、テレビ、雑誌等のメディア (媒体)への出演、執筆する等の啓蒙活動を続けている。計30冊の書籍の累計総発行部数は70万部を越えるという。
  • 著書においては、それまでの経験論や感覚的な指導指導や練習に疑問を呈し、ヒトとして理に適ったカラダの操り方から発想した上達術や理論「操育」を展開している。
  • 1990年代初頭のダイエーホークス時代、肩周辺の機能について福岡にある久恒病院の原正文医師に師事。肩周辺の筋機能の調整エクササイズである「インナリング」(サークルスクラッチ等)を開発、ホークス投手陣のコンディショニングメニューに組み込み、肩周辺の傷害の発生率を低減することに成功する。※1990年 32%→1992年 6%(%は障害発生によるリタイア=登録抹消率。※手塚一志著『肩バイブル』15ページより抜粋)。
  • 1993年自らホークスを退団し独立起業。このとき自らをパフォーマンスコーディネーターと名乗り、上達屋の前身となるアスリートパフォーマンスサポート業をスタート。最初のクライアントは桑田真澄(1994年セントラルリーグMVP・最多奪三振)と工藤公康(1993年パシフィックリーグMVP・最優秀防御率)だった。これまでのトレーナーやコーチの活動とは異なり、選手のパフォーマンス全体を包括的に引き上げる発想を重視。投げる・打つという行為自体のパフォーマンス向上を請け負う活動を始める。
  • 1993年大村皓一率いる人口技能研究グループに参加し、共同研究を行った結果、ヒト本来の動作の本質であるとする新運動原理(現W-スピン運動原理)を発見。W-スピンでは、脊柱の反転運動(第1スピン)と腕や大腿部の内向きへのネジリ運動(第2スピン)の連動的な掛け合わせ運動が、腕先や足先に速度を持たせ先端部を走らせる原動力と成り得ると考えるため、従来のマシンやバーベル等を用いた筋力トレーニングは、直線的な動作を多用することで、筋出力を増強させる効果は期待できるものの、肝心の”巧みさ”を下支えしているはずのW-スピンの螺旋連鎖運動の効率を低下させる危険性があると説き、従来考えられてきた直線的なプッシュ&プル動作を多用する筋力トレーニングに否定的、懐疑的な論調を展開。その後、このW-スピンの発想を元に、アスリートのパフォーマンスを向上させる上達メソッドクオ・メソッドを開発。野球選手のみならず、陸上競技、ラグビー、テニス、ゴルフ、相撲、ボクシング、サッカー、柔道、空手、レスリング、競輪などほとんどのスポーツ種目に転用可能なことを証明していった。野球の動作に精通する以前はアメリカ仕込みの当時最新と言われた直線的な筋力トレーニングをコンディショニングメニューとして実践していたこともある。新運動原理を発見した以降はそれ以前のトレーニングの実践と理論を反省・方向転換し、従来考えられてきた直線的なプッシュ&プル動作を多用する筋力トレーニングに否定的、懐疑的な論調を展開。
  • 1995年に新たな直球系の球種としてジャイロボールの存在を提唱。
  • 2006年松坂大輔投手のレッドソックス入団時にこの魔球を投じるとのうわさが全米を席捲。CNNを筆頭に、日米の各種メディアが取り上げ、ニューヨークタイムスでも1面をすべてを使って特集を組んでこの魔球を追いかける騒動に発展した。松坂の代理人であるスコット・ボラス氏は、契約交渉の場に手塚の著した『魔球の正体』を持参し、結果契約金を60億円まで引き上げる交渉条件として使ったと言われている。
  • 1995年投手の肩と腕のコンディショニングドリルサークルスクラッチを考案・発表。後に前田健太投手がこのドリルを試合中の調整法として採用。いわゆるマエケン体操である。
  • 1999年著書『バッティングの正体』の中でシンクロ打法を発表。18m44cm離れている投手と打者の空間に、互いの呼吸を合わせたり外したりする駆け引きの法則シンクロニスティック・コーディネーションがあることを知らしめた。このシンクロ打法を松井秀喜選手が採用し42HRを記録。一躍ブームに。当時、ジュニアから高校野球、プロ野球に至るまで、この投手とのタイミングが合い打率が上がるとされる打法が大流行した。
  • 2002年から2年間、阪神タイガース田淵幸一バッティングコーチの下で打撃指導を行った。その際、下半身からのらせん連鎖運動をバットコントロールに活かすうねり打法を導入。当時まだブレイク前だった今岡誠濱中治赤星憲広らの打力向上に貢献しつながる打線を実現。2003年の阪神優勝の陰の立役者として一躍注目を集めた。
  • 2004年から4年間、広島東洋カープの黒田博樹投手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2005年にセントラルリーグ最多勝、2006年に最優秀防御率タイトルに輝く。
  • 2009年から、ラグビートップリーグ所属のプレーヤーのパフォーマンス・コーディネートを担当。クボタスピアーズ・東芝ブレイブルーパス・サントリーサンゴリアス・NTTコミュニケーションシャイニングアークス等。その中から、廣瀬俊朗・立川理道の2名の日本代表キャプテンが誕生。
  • 2011年楽天ゴールデンイーグルスのパフォーマンス・コーディネーターに就任。
  • 2012年から4年間、同志社大学ラグビー部のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年ラグビー大学選手権ベスト4に貢献。
  • 2013年から5年間、広島東洋カープの新井貴浩選手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年にセントラルリーグMVP。
  • 2015年から、ボクシングスーパーバンタム級小國以載選手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2016年大晦日、ドミニカの怪物の異名を獲るジョナサン・グスマンに勝利し、世界チャンピオンに輝く。
  • 2016年大晦日から、広島東洋カープの大瀬良大地投手のパフォーマンス・コーディネートを担当。2018年セントラルリーグ最多勝・最優秀賞率を獲得。

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 手塚一志”. VictorySportsNews (2017年9月19日). 2022年11月29日閲覧。





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