常陸国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 07:44 UTC 版)
地域
領域
明治維新直前の領域は、現在の茨城県から下記を除き、千葉県印旛郡栄町の一部(生板鍋子新田・龍ケ崎町歩)を加えた区域に相当する。※の区域はいずれも1899年(明治32年)に常陸国に編入されている。
- 結城市、古河市、猿島郡(境町・五霞町)、坂東市、守谷市、北相馬郡(利根町)の全域
- 結城郡八千代町の大部分(大里・大渡戸・高崎・坪井・小屋・久下田・野爪・袋・新井・八町を除く)
- 下妻市の南部(柳原・山尻・谷田部・古沢・小島・今泉・中居指以南)
- 常総市の大部分(東町・水海道川又町を除く)
- つくばみらい市の一部(寺畑・川崎・鬼長・平沼・筒戸以西[注釈 5])
- 取手市の大部分(浜田・紫水・上萱場・下萱場・萱場・大曲・新川・双葉を除く)
- 龍ケ崎市の一部(川原代町・長沖新田町・須藤堀町より南西)
- ※稲敷郡河内町の東部(下加納・片巻・金江津・田川以東)
- ※稲敷市の一部(清久島・橋向・佐原組新田・手賀組新田・上須田・上之島・本新・境島以南)
郡
江戸時代の藩
常陸国には明治維新を迎えた藩として水戸藩、御連枝(分家・支藩)として府中藩、宍戸藩、そして付け家老として明治以降独立する松岡藩、その他に土浦藩、笠間藩、下館藩、谷田部藩、麻生藩、牛久藩、下妻藩がある。
明治元年から廃藩置県まで藩となったものに志筑藩、松川藩、龍ヶ崎藩がある。
人口
- 1721年(享保6年) - 71万2387人
- 1750年(寛延3年) - 65万5507人
- 1756年(宝暦6年) - 64万1580人
- 1786年(天明6年) - 51万4519人
- 1792年(寛政4年) - 49万5083人
- 1798年(寛政10年)- 49万2619人
- 1804年(文化元年)- 48万5445人
- 1822年(文政5年) - 49万5575人
- 1828年(文政11年)- 49万5859人
- 1834年(天保5年) - 45万7321人
- 1840年(天保11年)- 49万9761人
- 1846年(弘化3年) - 52万1777人
- 1872年(明治5年) - 64万8674人
出典: 内閣統計局・編、速水融・復刻版監修解題、『国勢調査以前日本人口統計集成』巻1(1992年)及び別巻1(1993年)、東洋書林。
注釈
- ^ 榎浦津駅は、現在の江戸崎町下君山(信太郡衙推定地)とほぼ近い位置と見られる。
- ^ たとえば「国府・…」の節にある通り、常陸国の国府は茨城郡に置かれた。しかし、ほぼ同じ位置に成立した江戸時代の城下町である常陸府中(明治以降の石岡)は新治郡に属する。これは近世以降の新治郡が古代の茨城郡の一部を領域として成立したことによる。また、それまで陸奥国高野郡に属していた依上郷はこの時に常陸国久慈郡に編入されている。
- ^ 慶応4年1月24日(1868年2月17日)に水戸藩附家老中山家が明治政府の特旨によって立藩。手綱藩と呼ばれた時期もあった。
- ^ 慶応4年7月14日(1868年8月31日)に交代寄合本堂家志筑領が戊辰戦争の功により加封されて立藩。
- ^ このうち川崎・鬼長は1896年(明治29年)に常陸国に編入されている。
出典
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