市中引き回し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 13:58 UTC 版)
備考
- 市中引き回しは1日がかりの行程であり、それに加えて実行側も気分の良いものではないため、あまり進んで参加しようとする者(実行側)はいなかったと言われている。(五ヶ所引廻では約20kmに及ぶ)また死出の旅ということで罪人には金が渡され、求めに応じて道中酒を買わせたり、煙草を買わせたりした。しかし小石川の商家の前を通ったとき、路上の見物人の中に赤ん坊に授乳している婦人がおり「あの乳が飲みたい」と罪人が所望した。検視役人は婦人に命じてその願いを叶えてやったが、それ以後この制度は行われなくなった[9]。
- 市中引き回しは、知名度の高い罪人が処される時にはさながら庶民の見世物と化し、罪人が貧相な風体をしていると江戸市民の反感を買いかねないため、それを嫌った幕府は引き回しの時に調度を整えさせた。例えば鼠小僧は美しい着物を身に付け、薄化粧をして口紅まで注していたという。
- 罪人にも同情すべき点がある場合、引き回しの時に使われた幟を被害者である店の主人に下げ渡す「幟あずけ」と呼ばれる不文律の懲戒処分が行われた。幟を捨てることは許されず、毎年一回罪人の命日に与力が「幟しらべ」と呼ばれる確認にやってきた。そうなるとその店には客が寄り付かず、多くの店は幟あずけをされると破産したという[10]。
市中引き回しを受けた主な人物
- 田舎小僧 - 伝馬町から小塚原刑場(獄門)
- 鬼坊主清吉 - 伝馬町から小塚原刑場(獄門)
- 鼠小僧 - 伝馬町から小塚原刑場(獄門)
- 八百屋お七 - 伝馬町から鈴が森刑場(火刑)
- 白子屋お熊 - 伝馬町から鈴が森刑場(獄門)
- 真秀[11]-伝馬町から小塚原刑場(火刑)
脚注
- ^ CHAPTER VIII.CRIMES AND PUNISHMENTS."Sketches of Japanese manners and customs" Jacob Mortimer Wier Silver, 1867
- ^ 司法資料. 第221号 昭和11
- ^ 平松義郎『近世刑事訴訟法の研究』創文社、1960年1月1日、1056-1069頁。doi:10.11501/3033456。ISBN 4423740117。 NCID BN02799356。
- ^ 谷正之「弁護士の誕生とその背景(3)明治時代前期の刑事法制と刑事裁判」『松山大学論集』第21巻第1号、松山大学総合研究所、2009年4月、279-361頁、ISSN 09163298、NAID 110007579200、2021年6月1日閲覧。
- ^ 現在の価値換算で、約150~380万円ほど
- ^ 『お金の歴史に関するFAQ「江戸時代の1両は今のいくら?―昔のお金の現在価値―」』(プレスリリース)日本銀行金融研究所 貨幣博物館、2017年9月 。2021年10月24日閲覧。
- ^ 現在の価値換算で、約10~25万円ほど
- ^ 若松県, 旧若松県誌 政治部 刑1-3(明治2・3年) (122-127コマ), 国立公文書館
- ^ 石井(2013:56-57)
- ^ 名和(2012:156)
- ^ 武州熊谷無宿の坊主。目黒の大円寺に放火したことで、1772年の明和の大火を引き起こした
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