寵臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/08 09:36 UTC 版)
著名な寵臣の例
- 『旧約聖書』の登場人物のうち、サウル王に仕えた時期のダヴィデ、ファラオに仕えたヨセフは寵臣としての要素を多く備えている。
- 籍孺、前漢の高祖に寵愛された侍童。
- 閎孺、前漢の恵帝に寵愛された侍童。
- セイヤヌス、ローマ皇帝ティベリウスに重用されたが、31年皇帝の命令で処刑された。
- カピラル、サンガム時代のタミル語詩人、タミラカムの王ヴェール・パーリの寵愛を受けたとされ、125年頃に王が戦死すると、儀礼的な自殺法「ヴァタキルッタル」によって後を追った。
- アンティノウス、ローマ皇帝ハドリアヌスの寵童。130年に早世した後、皇帝によって神格化された。
- クレアンデル、ローマ皇帝コンモドゥスに重用された解放奴隷、190年皇帝の命令で処刑された。
- バシレイオス1世、ビザンツ帝国マケドニア・テマの農民出身だったが、ミカエル3世に気に入られて共同皇帝に取り立てられた。さらに恩人のミカエル3世を殺害して単独皇帝となり、マケドニア王朝の始祖となった。
- ムハンマド・イブン・アンマル、詩とチェスの才能でセビリア・タイファ国の君主アル=ムータミド・イブン・アッバードの親友となるが、王国の領土の一部を奪おうと画策したことが露見して、1086年君主自身の手で絞殺された。
- ピアーズ・ギャヴィストン、初代コーンウォール伯爵。イングランド王エドワード2世の同性の恋人だったと考えられ、国王不在時の摂政を含む高位高官を歴任したが、1312年反乱者に捕らえられて処刑された。
- ヒュー・ル・ディスペンサー(小ディスペンサー)、ギャヴィストン死後のエドワード2世の新しい同性の恋人と考えられ、彼もまた、1326年に王妃イザベラ・オブ・フランスの指揮する反乱軍に捕らえられ、残酷な方法で処刑された。
- アルバロ・デ・ルナ、初代トルヒージョ公爵、カスティーリャ王フアン2世の寵臣として長くその治世を支えたが、王妃イサベル・デ・ポルトゥガル及びカスティーリャ貴族層から強い敵意を向けられ、1453年処刑された。
- ロバート・コクラン、スコットランド王ジェームズ3世の寵臣、アンガス伯爵を指導者とする貴族の反乱軍に捕らえられ、ローダーの橋上で王の他のお気に入りたちと一緒に絞首刑になった。
- パルガル・イブラヒム・パシャ、キリスト教徒の平民家庭の生まれながら、オスマン帝国のスレイマン1世に重用されて大宰相となる。しかし反逆を疑われ、1536年スルタンの命令で処刑された。
- ロバート・ダドリー、初代レスター伯爵。イングランド女王エリザベス1世の寵臣として30年以上側近くに仕え、女王の恋人だと噂され、長い期間女王の結婚相手候補と見なされていた。エリザベス朝宮廷の指導的な政治家かつ芸術のパトロンだった。
- ロバート・デヴァルー、第2代エセックス伯爵。上記のレスター伯の継子で、継父の後を継いで女王の新しい寵臣となった。向こう見ずな性格で、成功の見込みのないクーデタを起こそうとして失敗し、1601年処刑された。
- レ・ミニョン、フランス王アンリ3世の寵愛した若者の取り巻き集団で、女性的な振る舞いやファッションなどが批判に晒された。
- フランシスコ・デ・サンドバル・イ・ロハス、初代レルマ公爵、17世紀スペインの寵臣政治を最初に担った政治家で、20年以上にわたり国政を壟断した。
- ガスパール・デ・グスマン・イ・ピメンテル、初代オリバーレス伯公爵、17世紀スペインの寵臣政治を代表する政治家で、上記のレルマ公の失脚後、20年以上にわたり国政を担った。
- シャルル・ダルベール、リュイヌ公爵。フランス王ルイ13世の幼少期以来の腹心。1617年、王命により王母マリー・ド・メディシスの寵臣コンチーノ・コンチーニ暗殺を指揮した。
- エズメ・ステュワート、初代レノックス公爵。イングランド王ジェームズ1世(6世)のスコットランド時代の寵臣。カトリックのフランス貴族ながら摂政にまでのぼるが、貴族の反発でパリに追放された。
- ロバート・カー、初代サマセット伯爵。ジェームズ1世の寵臣だが、下記のバッキンガム公の台頭で王の寵愛を失い、1616年毒殺事件に関与して宮廷から追放された。
- ジョージ・ヴィリアーズ、初代バッキンガム公爵。ジェームズ1世・チャールズ1世父子2代に仕えた寵臣で、17世紀前半のイングランド国政を主導したが、多くの国民の敵意を受けて1628年暗殺された。
- アクセル・オクセンシェルナ、1612年から1645年の死去まで40年以上にわたり大法官としてスウェーデンの国政を主導し、同国に国際的威信をもたらした。
- アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ、サン=マール侯爵。ルイ13世の寵童となり多くの高位官職を得た。1642年、スペインと内通したことが原因で、庇護者だったリシュリュー枢機卿により処刑された。
- ジュール・マザラン枢機卿、リシュリューの後継者として20年近くにわたりフランス国政を主導したが、貴族に憎悪されフロンドの乱に直面した。1661年の彼の死は、ルイ14世の親政開始と寵臣政治の終焉という画期となった。
- ルイス・デ・ヴァスコンセロス・イ・スーザ、カステロ・メリョー伯爵。心身に問題のあったポルトガル王アフォンソ6世の寵臣として国政を壟断、王を説得して王母ルイサ・デ・グスマンを修道院に追放させたことが有名。
- コルフィッツ・ウルフェルト、デンマーク王クリスチャン4世の娘婿として国政の要職を占めた。王の死後、義兄である新王フレゼリク3世に反逆罪に問われ、スウェーデン王に仕えた。
- シドニー・ゴドルフィン、初代ゴドルフィン伯爵。イングランド王チャールズ2世の被保護者だが変わり身の早い人物で、議会政治の中心に長く居続けた。
- マリー・アンヌ・ド・ラ・トレモイユ、ユルサン(ウルシノス)女公。フェリペ5世夫妻に随行してヴェルサイユ宮廷からスペインに移り、王妃女官長の肩書で王室の助言者の役目を果たした。王の後妻エリザベッタ・ファルネーゼに追放された後も、ローマのジャコバイト亡命宮廷で重きをなした。
- コンスタンティン・フォールコン、ギリシア出身で、タイのアユタヤ王朝・ナーラーイ王の顧問官、王の重用は1688年のシャム革命を招き、この革命で殺された。
- サラ・チャーチル、初代マールバラ公ジョン・チャーチル夫人。アン英国女王の公私にわたる生活を差配していた親友であったが、従妹のアビゲイル・メイシャムに取って代わられた。
- アレクサンドル・メーンシコフ、ロシア皇帝ピョートル1世の生涯の親友で、極めて卑しい生まれから高官にのし上がった身分上昇は当時としては類を見ない。1725年の皇帝の死後、事実上の最高権力者に上り詰めるが、2年後には失脚しシベリアに流刑となった。
- ハインリヒ・フォン・ブリュール、アウグスト2世(強王)に仕えたザクセン選帝侯領首席大臣で、欲深く、金に汚く、全く無能な政治家であった。
- ヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセ、精神を病んだデンマーク王クリスチャン7世の国王侍医で、王妃カロリーネ・マティルデとの愛人関係と王の重い症状を利用して事実上の最高権力者となるが、1772年に逮捕され、残酷な方法で処刑・死体損壊を受けた。
- ヘシェン(和珅)、清の乾隆帝の駙馬にして軍機大臣となり、中国史上空前の個人資産所有者と言われた。乾隆帝の死後、専横を苦々しく思っていた新帝嘉慶帝の命令で賜死となった。
- グリゴリー・ポチョムキン、1774年から1776年までの2年間、ロシア女帝エカチェリーナ2世の愛人であったが、男女関係の絶えたのちも女帝の絶大な信任を得て、1791年に死ぬまで強大な権力を握り続けた。
- プラトン・ズーボフ、エカチェリーナ2世の生涯最後の愛人であり、その息子で後継者のパーヴェル1世の暗殺事件に重要な役割を果たした。
- マリー・ルイーズ・ド・サヴォワ、ランバル公妃、フランス王妃マリー・アントワネット最初の寵臣で、王妃家政機関総監。フランス革命後も王室の側近に留まり続けたほぼ唯一の高位貴族で、1792年の九月虐殺での悲惨な末路で知られている。
- ガブリエル・ド・ポラストロン、ポリニャック公爵夫人、フランス王妃マリー・アントワネット最後の寵臣で、王家養育係主任女官。王妃の夫ルイ16世の信任も勝ち得た稀有な女性であったが、王妃との同性愛を噂され、国民からは憎まれた。
- マヌエル・デ・ゴドイ、デ・ラ・パス(平和)公、王妃マリア・ルイサ・デ・パルマの信任を得て首相となるが、自身の不人気とナポレオンのスペイン支配の野心が祟って、1808年主君のカルロス4世は退位に追い込まれた。
- グリゴリー・ラスプーチン、祈祷僧、ロシア皇帝ニコライ2世一家の絶大な信任を得たが、国民からは憎悪の目を向けられ、1916年に暗殺された。2年後に処刑された皇帝一家は最後までラスプーチンへの崇拝心を捨てなかった。
- ^ Elliott:5, summarising the work of French historian Jean Bérenger
- ^ "favourite". Oxford English Dictionary (3rd ed.). Oxford University Press. September 2005. 2019年1月23日閲覧。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ “Much Ado About Nothing 3.1”. www.shakespeare-online.com. 2019年1月23日閲覧。
- ^ s:Edward the Second
- ^ Elliott:6
- ^ Adams pp. 17–18
- ^ Elliott:1
- ^ Elliott:2-3
- ^ Blair Worden in Elliott:171
- ^ Bacon, Francis (1597年). “On Friendship”. authorama.com. 2020年11月7日閲覧。。訳文は、日本語訳版である渡辺義雄訳『ベーコン随想集』岩波文庫、1983年、P120を参照。
- ^ Published 1597, perhaps the earliest use of the word in English, it is missed by the OED, who give the Shakespeare use quoted above, perhaps written in 1598.[10]
- ^ Essay on "The Earl of Chatham", quoted Elliott:1
- ^ Portraits of Sarah Churchill. National Portrait Gallery (United Kingdom). Retrieved on 7 August 2007.
「寵臣」の続きの解説一覧
- 1 寵臣とは
- 2 寵臣の概要
- 3 文学における寵臣
- 4 著名な寵臣の例
- 5 関連項目
寵臣と同じ種類の言葉
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