城之越遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:28 UTC 版)
概要
伊賀盆地南東部、木津川右岸の丘陵端部、周囲を低丘陵で囲まれた小盆地南東隅に位置する。1991年度(平成3年度)以降に発掘調査が実施されている[1]。
遺跡域は、平野部のA地区と丘陵斜面地のB地区に分かれる。特徴的な遺構として、A地区では大溝祭祀遺構が、A地区・B地区では四面庇付大型掘立柱建物計4棟が検出されている。大溝祭祀遺構は、3ヵ所の井泉からの湧水を引き込んだ貼石溝であり、湧水自体を対象として祭祀が斎行された遺構になる。その景観は後世の日本庭園にも通じるほか、多くの祭祀関連遺物が出土した点でも注目される。また4棟の四面庇付大型掘立柱建物は、古墳時代当時としては非常に大規模なもので、大溝における祭祀との関連が指摘される。
この城之越遺跡は、古墳時代前期後半-中期の4世紀後半-5世紀頃に祭祀の盛期を持つと推定される。大規模な貼石遺構や大型建物4棟の規模から、有力な首長層が祭祀主体を担ったと推測される点で注目される遺跡になる[2][1][3]。
遺跡域は1992年(平成4年)に三重県指定史跡に指定され、そのうち中心部が1993年(平成5年)に国の名勝・史跡に指定された[4]。現在では史跡整備のうえで史跡公園「城之越遺跡」として公開されている。
遺跡歴
- 1990年度(平成2年度)、県営圃場整備事業・農免農道建設事業に伴う分布・試掘調査。(三重県埋蔵文化財センター)。
- 1991年度(平成3年度)、県営圃場整備事業・農免農道建設事業に伴う発掘調査。大溝祭祀遺構を検出(三重県埋蔵文化財センター、1992年に報告書刊行)[1]。
- 1992年(平成4年)2月21日、三重県指定史跡に指定。
- 1992年度(平成4年度)、保存整備事業に伴う発掘調査(上野市教育委員会)[1]。
- 1993年(平成5年)10月29日、中心部が国の名勝・史跡に指定[4]。
- 1994年度(平成6年度)、保存整備事業に伴う発掘調査(上野市教育委員会、1998年に報告書刊行)。
- 1996年度(平成8年)度、農道整備事業に伴う発掘調査(三重県埋蔵文化財センター、1997年に報告書刊行)。
- 1997年(平成9年)10月、史跡公園「城之越遺跡」の開園。
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