地獄の黙示録
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評価
『地獄の黙示録』は、公開直後から映画に対する賛否両論が噴出した[11]。映画評論家たちの間では、「ストーリーもあるようでないようなものである」「戦争の狂気を上手く演出できている」「前半は満点だが後半は0点」など、意見が分かれがちな映画である。作品としての質は別にして、批評家たちは「泥沼のベトナム戦争がアメリカ人に与えた心の闇を、衝撃的な映像として残した怪作である」と結論付けた[要出典]。また、立花隆は、ギリシャ神話を隠喩的に織り込んでいると述べた[12]。
公開当時、70ミリ版で3回、35ミリ版で1回見たという村上春樹は、評論『同時代としてのアメリカ』の中で次のように述べている。「『地獄の黙示録』という映画はいわば巨大なプライヴェート・フィルムであるというのが僕の評価である。大がかりで、おそろしくこみいった映画ではあるが、よく眺めてみればそのレンジは極めて狭く、ソリッドである。極言するなら、この70ミリ超大作映画は、学生が何人か集まってシナリオを練り、素人の役者を使って低予算で作りあげた16ミリ映画と根本的には何ひとつ変りないように思えるのだ」[13]
映画の冒頭は、ドアーズの「ジ・エンド」をBGMに、ベトナム戦争を象徴する兵器であるナパーム弾が全てを焼き払うかのような映像シーンである。そして、ウィラードがカーツ殺しに至るシーンで流れているのも、やはり「ジ・エンド」である[注 6]。この他にも、キルゴア中佐率いる部隊がワーグナーの「ワルキューレの騎行」をオープンリールで鳴らしながら、9機の武装したUH-1ヘリが、南ベトナム解放民族戦線の拠点であるベトナムの村落を攻撃していくシーンなど、さまざまな意味で話題となったシーンは多い。また、既存の文学作品や映画作品からモチーフを借りた場面も多く、これらのシーンについて、多様な解釈が公開当時から行われていた[注 7]。
映画中では、アメリカ側におけるベトナム戦争のいい加減さを強調し、歴代アメリカ合衆国大統領(ジョン・F・ケネディとリンドン・B・ジョンソン)により拡大した、ベトナム戦争に対するアメリカ合衆国連邦政府への批判がみられる。例えば、サーフィンをするためにベトナムの村落を焼き払うヘリ部隊の指揮官、指揮官不在で戦闘をする部隊といった描写である。上記のように、本作品は、ベトナム戦争の暴力や狂気を強調し、アメリカ合衆国のベトナム戦争への加担を暗に批判したという点で評価される面がある。その反面、戦争の暴力や狂気をテーマとしながら、それらを視覚的に美しく描くことに成功しているという評価もなされている[14]。
公開当時は否定的な意見も多かったが、現在ではアメリカ映画史上重要な地位を占める作品であると概ね肯定的に評価されている。1998年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが選んだ『アメリカ映画ベスト100』中第28位、2007年に更新された『アメリカ映画ベスト100(10周年エディション)』中第30位にランクインした。2000年にはアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。IMDbによる人気投票でも上位にランクインされている[15]。また、キルゴア中佐の台詞である「朝のナパーム弾の臭いは格別だ」(I love the smell of napalm, in the morning.)は、AFIによる『アメリカ映画の名セリフベスト100』中第12位に選ばれている。
主な受賞
- 1979年度(第37回)ゴールデングローブ賞
- 1979年度(第14回)全米映画批評家協会賞
- 助演男優賞:フレデリック・フォレスト(『ローズ』に対しても)
- 1979年度(第33回)英国アカデミー賞
- パルム・ドール:フランシス・フォード・コッポラ
- 国際映画批評家連盟賞:フランシス・フォード・コッポラ
注釈
- ^ a b 特別完全版とファイナル・カットにのみ登場。
- ^ クレジットなし。
- ^ 打ち合せでサンフランシスコや撮影現場のフィリピンに同行した戸田奈津子が著書で記述している[8]。
- ^ コッポラの妻エレノアは、コッポラがラッシュを観て交替を決めたと回想している。
- ^ マイケル・ハーはその後、ベトナム戦争を描いたスタンリー・キューブリック監督の『フルメタル・ジャケット』(1987年)に脚本家として参加している。
- ^ ジョン・ミリアスと、ドアーズのジム・モリスンおよびレイ・マンザレクの2人は、学生時代からの友人で、コッポラ自身も顔見知りだったという。
- ^ 同楽劇曲は1973年公開された『ミスター・ノーボディ』」(原題:My name is no body)でワイルドバンチの登場曲として使用されている。
出典
- ^ “Apocalypse Now”. Box Office Mojo. 2022年9月9日閲覧。
- ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)390頁
- ^ “Apocalypse Now Final Cut 2019 Tribeca Film Festival”. TribecaFilm.com. 2019年6月1日閲覧。
- ^ Collis, Clark (2019年4月28日). “Apocalypse Now Final Cut to be released in cinemas this summer” (英語). EW.com. Entertainment Weekly. 2022年9月9日閲覧。
- ^ ドキュメンタリー映画『ハート・オブ・ダークネス コッポラの黙示録』のコッポラの妻エレノア・コッポラの証言によれば、屠殺の描写は当初の脚本にはなく、ロケを行った現地で屠殺の儀式を体験したとき発想されたアイディアであったという。この一連の場面は、エイゼンシュテインの『ストライキ』と比較されることもあり、編集も同じようなモンタージュで行われている。
- ^ コッポラ 2002, pp. 370–372, 第三部 一九七八年――再生のとき〈六月九日 ナパ〉.
- ^ コッポラ 1992, pp. 288–289, 第三部 一九七八年 新しい旅立ち〈六月九日 ナパ〉.
- ^ 戸田奈津子 著、金子裕子 編『KEEP ON DREAMING』双葉社、2014年10月21日、88-90頁。ISBN 978-4-5753-0764-1。
- ^ Cowie 1990, p. 128.
- ^ a b Cowie 1990, p. 127.
- ^ a b “Sweeping Cannes” (英語). Time. (1979年6月4日) 2022年9月9日閲覧。
- ^ 立花隆『解読「地獄の黙示録」』文藝春秋、2002年2月。ISBN 978-4-1635-8490-4。[要ページ番号]
- ^ 村上春樹「同時代としてのアメリカ 3」 『海』1981年11月号、164-165 頁
- ^ Dirks, Tim. “Apocalypse Now (1979)” (英語). Filmsite. 2022年9月9日閲覧。 “Apocalypse Now (1979) is producer/director Francis Ford Coppola's visually beautiful, ground-breaking masterpiece with surrealistic and symbolic sequences detailing the confusion, violence, fear, and nightmarish madness of the Vietnam War.”
- ^ The Internet Movie Database、“IMDb Top 250”(参照:2009年5月25日)
- ^ a b 萩原健一、絓秀実「第一章 黒澤明を経験するということ」『日本映画[監督・俳優]論 〜黒澤明、神代辰巳、そして多くの名監督・名優たちの素顔〜』ワニブックス〈ワニブックスPLUS新書〉、2010年10月8日、22頁。ISBN 978-4-8470-6023-6。
- ^ 「マスターズ・オブ・ライト」デニス・シェファー+ラリー・サルヴァート著・フィルムアート社、254頁
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