北国分 地理

北国分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 20:58 UTC 版)

地理

市川市北部に位置する。地内は住宅地となっており、地内中央の地下を北総鉄道北総線が通るほか、一丁目に小塚山公園、一丁目に近接して、北総線矢切駅、四丁目に一条会病院がある。また、地内には生産緑地が多く設定されているため、広大な畑や果樹園が広がっている。南西部には東京外環自動車道が通る。また、市内の菅野八幡真間などと共に文学者や小説家、作家に縁のある地で、小説家・劇作家である井上ひさしが居住していた。井上の作品『空き缶ユートピア』は、北国分を冠する「北国分アパート」が舞台となっている。

東は堀之内、西は松戸市三矢小台・下矢切、南は国府台中国分、北は松戸市大橋・二十世紀が丘萩町と接している。

地価

住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、北国分4-4-11の地点で16万円/m2となっている。[4]

歴史

沿革

  • 1869年(明治2年) - 葛飾県葛飾郡国分村となる。
  • 1871年(明治4年) - 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡国分村となる。
  • 1873年(明治6年) - 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡国分村となる。
  • 1889年(明治22年) - 東葛飾郡須和田村、曽谷村、稲越村、下貝塚村と合併し、東葛飾郡五常村大字国分となる。
  • 1890年(明治23年)5月23日 - 五常村が国分村に村名を変更。東葛飾郡国分村大字国分となる。
  • 1934年(昭和9年)11月3日 - 市川町八幡町中山町と合併、市制施行。市川市大字国分となる。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 - 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川市北国分町となる。
  • 1971年(昭和46年)9月29日 - 北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目・二丁目となる。
  • 1972年(昭和47年)2月1日 - 北国分町の一部で住居表示施行。市川市北国分一丁目 - 四丁目となる。

地名の由来

旧大字国分の北部に位置することより。国分は、当地に置かれた「下総国分寺」から。

世帯数と人口

2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
北国分一丁目 604世帯 1,351人
北国分二丁目 664世帯 1,547人
北国分三丁目 538世帯 1,244人
北国分四丁目 576世帯 1,426人
2,382世帯 5,568人

  1. ^ a b 町丁別人口(住民基本台帳)”. 市川市 (2017年10月10日). 2017年11月6日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月7日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 小・中学校の通学区域(学区)”. 市川市 (2017年9月28日). 2017年11月7日閲覧。


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