兎川寺 歴史

兎川寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 06:09 UTC 版)

歴史

寺伝によれば今から約1300年前の飛鳥時代聖徳太子により創建されたと伝わる。中世には天台宗真言宗合わせて24坊からなる大伽藍があり隆盛を誇った。1332年北条氏反逆に対し、全国の天台僧徒が比叡山に集まった際、当寺の天台僧徒もこれに従い、全員が武器を持ち参加したが帰る者は一人もいなかった。このため天台12坊は廃墟と化し、以来真言のみとなった。戦国時代武田信玄が大兵を持ち小笠原氏林城を陥れるに及び、小笠原氏の祈願寺となっていた当寺は、暴徒の侵略により仏像をはじめ多くの寺宝が持ち去られた。1618年、時の住職であった憲俊師により、高野山龍光院に所属することとなる。明治時代初期には、戸田光則が全国的にも例を見ない廃仏毀釈を断行したため廃寺となり、その後は兎川学校(後の山辺学校)として利用された。のち壇信徒の篤い信仰により再建された。

伽藍

文化財

  • 石川数正夫婦供養塔
  • 木食山居仏
  • 聖徳太子像
  • 百体観音

札所

アクセス

周辺

参考資料

  • 兎川寺由緒書
  • 『探訪 信州の古寺 天台宗・真言宗』1996年 郷土出版社

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