ルイ・ブレリオ ルイ・ブレリオの概要

ルイ・ブレリオ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 15:44 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ルイ・ブレリオ

人物と業績

エコール・サントラル・パリ工学科卒。

1900年頃から航空機の実現に没頭し、鳥を摸した「はばたき機」を自作したが、飛行するには至らなかった。ライト兄弟が初飛行に成功した1903年、自動車用前照灯の製造で得た利益を基に、ガブリエル・ヴォアザンと共同でブレリオ・ヴォアザンを設立し、アントワネット製エンジン搭載の複葉機などを製作した。

1906年、ロンドンの新興紙デイリー・メールが宣伝目的でドーバー海峡横断飛行に賞金1,000ポンドを掛けたことから、達成競争に参戦するためヴォアザンと袂を頒ち、自ら再び設計・製作を手掛け始めた。

多様な形式の機体(箱型複葉機・推進式単葉機タンデム翼機など)で試行錯誤し、中でもブレリオ Vは世界初の実用単葉機であったが、翌1907年に事故で失われた。

1909年7月25日早朝、レイモン・ソルニエ(Raymond Saulnier)設計のブレリオ XIを駆ってカレー市郊外からドーバー城まで所要時間36分55秒で初横断に成功。ユベール・ラタムシャルル・ド・ランベールとの先着競争を征し、巨額の賞金と国際的栄誉を手にした。

その偉業を記念して、ブレリオはレジオンドヌール勲章を与えられ、出発地はブレリオ海岸(Blériot-Plage)と命名された。

ブレリオ XIにはレプリカの注文が殺到し、工房は繁忙を極めた。1914年には、創業者の摘発で混乱状態に陥っていたSPADの経営権を取得、第一次世界大戦では軍用機の最大手量産メーカーに成長させた。

1921年には自身の名を冠したブレリオ・アエロノティック英語版フランス語: Bleriot-Aeronautique)を設立してSPADを子会社化し、民間機事業にも進出して成功した。

参考文献

  • 「カレーからドーバーへ ルイ・ブレリオの遺跡をたずねて」 - 木村秀政(『航空情報』1973年10 - 11月号)

関連項目

外部リンク




「ルイ・ブレリオ」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ルイ・ブレリオ」の関連用語

ルイ・ブレリオのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ルイ・ブレリオのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのルイ・ブレリオ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS