マレーシアサッカー協会 マレーシアサッカー協会の概要

マレーシアサッカー協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 06:13 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
マレーシアサッカー協会
名称
マレー語表記Persatuan Bola Sepak Malaysia
略称FAM
FIFAコードMAS
歴史
設立1933年
FIFA加盟1954年
AFC加盟1958年
AFF加盟1984年
組織
国または地域 マレーシア
本部セランゴール州クラナ・ジャヤ
会長HRHスルタン・アーマド・シャー
公式サイト

背景

独立以前

イギリス人によりマラヤにサッカーが伝えられると、マラヤの人々はすぐに試合を行うようになり、マレーシアで最も人気のあるスポーツとなるまでそれほど時間はかからなかった。19世紀終わり頃までに、サッカークラブはマラヤで最も数の多いスポーツクラブとなったが、これらのサッカークラブを統括する組織は存在していなかった。1905年にセランゴール州アマチュアサッカーリーグが結成された際にも、運営管理する母体となる組織は存在していなかった。大会に参加したのはクアラルンプール地区のクラブに限られていた。

1921年、マラヤ連邦全州のサッカークラブが参加する全国大会が設立された。HMSマラヤ・カップ (1963年にマレーシア・カップと改名) として知られたこの大会は第二次世界大戦期間中を除き、途切れることなく開催されている。

1926年、セランゴールアマチュアサッカーリーグが設立され、1936年にはセランゴールサッカー協会が結成された。セランゴールサッカー協会がセランゴール地方のサッカーの統括し選抜チームの強化を図っているのを見て、マラヤ連邦の他の州もまたこれに続いてサッカー協会を設立するようになった。それぞれの州の選抜チームが対戦するHMSマラヤ・カップの大会の名称はHMSマレーヤというイギリス戦艦の名称にちなむものであった。サッカーやラグビーに関して各々の州の選抜チームが造られた後、HMSマラヤの運営委員会はマラヤ連邦のラグビーとサッカー両方の大会を毎年開催することを決断した。

1926年、シンガポールを訪問したオーストラリアのサッカーチームに対しマラヤ代表を結成すべく、ペラサッカー協会、セランゴールサッカー協会、ヌグリ・スンビランサッカー協会、マラッカサッカー協会、シンガポールアマチュアサッカー協会が一堂に会し、マラヤサッカー協会 (Malayan Football Association、MFA) を設立した。

1933年、MFAは組織改編し「Football Association of Malaya」 (FAM) と名称を変更した。当初。FAMはシンガポールに拠点を置いていた。FAMはマラヤ・カップをはじめとするマラヤ連邦のサッカー大会を主催していた。毎年開催される全国サッカー大会は国内のサッカーレベル上昇に貢献した。

FAM初代会長はアンドリュー・コールデコット英語版卿であり、続いてM.B. Shelley、Dr. J.S. Webster、S.D. Scott、R. Williamson、Adrian Clarkが会長となりヨーロッパで第二次世界大戦が勃発する1940年まで運営が続けられた。1940年、FAMの拠点がシンガポールからマラヤに移され、A.R. Singhamが1941年にアジア人初のFAM秘書となった。

第二次世界大戦後初のFAM会長はJ. Kingであり、続いてH. Byson、Dr. C Rawsonが会長となった。Rawsonはイギリス人以外の会長が誕生するまでの2年間会長代行を務めた。1951年、トゥンク・アブドゥル・ラーマン (彼は初代マレーシア首相となった) がFAM会長となった。アブドゥル・ラーマンの下、マレーシアのサッカーは次なるステップへと移行し、FAMは単にマレーシア・カップという1大会の運営組織から全国のサッカーを統括する大きな役割を担うようになった。

マレーシアサッカー協会は国際サッカー連盟 (FIFA) に1954年に加盟[1]、1958年にアジアサッカー連盟 (AFC)に加盟した。

批判

AFCアジアカップ2007終了後、協会会長はマレーシア代表選手を正面から非難する一方で、1984年以降会長の座に君臨し続けている彼は会長の座から降りるべきであるとする声には耳を傾けず、長期政権に対する意欲を示した[2]。彼は「マレーシア代表の中国戦とウズベキスタン戦の詳細なマッチレポートを要求する」一方で、「私は圧力に屈したりはしない。私は臆病者でない、戦士だ。」と発言した[3]。彼は2007年9月9日に行われたマレーシアサッカー協会会長選挙で会長に再選された[4]

所属サッカー協会

マレーシアサッカー協会の傘下には14州のサッカー協会に加えて、マレーシア王宮警察サッカー協会 (Persatuan Bolasepak Polis DiRaja Malaysia, PDRM FA) やマレーシア陸軍サッカー協会 (Persatuan Bolasepak Angkatan Tentera Malaysia, ATM FA) など6つの協会が所属する。また、それぞれのサッカー協会所属のサッカークラブがあり、プロリーグに参戦していた。しかし、アジアサッカー連盟 (AFC) からそのことが問題視され、協会とクラブの分離が行われない場合にはAFCクラブライセンスを交付しない旨の通達があったため[5]、2021年までに独立した運営会社を設立してサッカー協会所属クラブ (FA) からサッカークラブ (FC) への転換が行われた。




「マレーシアサッカー協会」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マレーシアサッカー協会」の関連用語

マレーシアサッカー協会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マレーシアサッカー協会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマレーシアサッカー協会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS