ボストン絞殺魔事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 13:24 UTC 版)
ボストン絞殺魔事件 The Boston Strangler | |
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場所 | アメリカ合衆国・マサチューセッツ州ボストン |
日付 | 1962年6月14日 - 1964年1月4日 |
概要 | ボストン市内の女性を標的とした連続殺人事件 |
攻撃手段 | 絞殺(例外あり) |
死亡者 | 13人 |
犯人 | アルバート・デザルボ |
約1年半の間、上は75歳から下は19歳まで、計13人の女性が性的な暴行を受けた上で殺害され、当時のボストン市民たちを恐怖に陥れ、大きな影響を与えた。
1965年に犯人としてアルバート・デザルボが断定され、その人物が刑務所内で死去したことで、事件は一応の終息を見せたものの、1980年代以降には冤罪説が数多く浮上し、再び脚光を浴びていた[1]。
2013年、メアリー・サリバンの体内に残されていた精液とアルバート・デザルボの甥から採取されたDNA型を比較したところ、強い関連を示し、デザルボの遺体を掘り起こしDNA鑑定を行った結果、本人のものと一致が確認された[2][3][4]。
概要
1962年6月14日に55歳の女性アンナ・スレッサーズが自宅で殺害されたことを皮切りに、約2ヵ月間で50歳代から70歳代までの女性たちが絞殺体で発見された[5]。いずれも共通点として、遺体発見時はほぼ全裸であり、強姦はされていないものの性的な暴行を受けた形跡があり、絞殺にはショーツストッキングやタイツなどその女性の衣服が用いられていた[6]。また、絞殺に用いた衣類を蝶結びにしたり、殺害後の遺体の女性器を露出状態にしたりと、異常な性的嗜好の持ち主による犯行にも見受けられた[5]。センセーションを売り物とする新聞は当時、これらの犯人を「絞殺魔 (Strangler)」の名で報道した[7]。
同年12月5日にソフィー・クラークの絞殺体が発見されたが、以前の被害者と違い、今回は20歳の若い女性で、これまでになかった強姦の形跡があった。同月12月31日に絞殺されたパトリシア・ビセットも20歳代であり、やはり強姦の形跡があり、さらに絞殺の形跡はあったものの直接の死因は刺殺であった。その後も翌1963年まで、20歳代、50歳代、60歳代の女性と被害が続いた。この年の最後の犯行は11月23日だったが、これは第35代大統領ジョン・F・ケネディが暗殺された翌日であり、アメリカ中が喪に服している最中でのこの犯行を、ある精神医学者は後に「近代犯罪史上稀に見る誇大妄想狂による犯行」と呼んだ[7]。
1964年1月4日に最後の犯行が行われた。被害者はメアリー・サリバン、これまでで最年少の19歳であり、発見時にはベッドの上で両膝を立てて脚を広げ、陰部に箒を挿入されているという、全犯行中で最悪の姿であった[7][8]。しかも1月の犯行ということで、現場にはグリーティングカードが残されており[6][8]、さらにフィルムの包み紙らしきものが残されていたことから、あたかも犯人は自分の成果を写真に収めたかのようであった。19歳の少女へのこの残忍な犯行に対し、ボストン市内では犯人に対してこれまでにない怒りが巻き起こった[7]。
捜査
ボストン警察署は空前の捜査体制を敷き、連邦捜査局(FBI)にも応援を募り、後には選り抜きの刑事50名による特別機動パトロール隊が市内の巡回にあたった[7]。2000人以上の警察官が毎日12時間から14時間も勤務したにもかかわらず、決定的な手掛かりは皆無であった[7]。
1964年以降は新たな捜査方法が必要と見られたことから、マサチューセッツ州法務庁が一連の事件を担当することになった[7]。同州法執行機関の頂点に位置する法務庁の刑事事件介入は異例のことであったが[9]、依然、捜査は袋小路に陥っていた[10]。とある資産家の紹介により、オランダで超能力者を名乗るピーター・フルコスが捜査に協力したが、彼の能力も事件解決には結びつくことはなかった[10]。
当初は被害者の年代、殺害方法、形跡などから、老齢の婦人ばかりを相手取った単独犯による犯行と思われたが、途中からは20歳代の若い女性、最後に至っては十代の少女が殺害されたことで捜査陣は混乱に陥り[7]、老齢の婦人を狙う絞殺魔を模倣し、別の者が若い女性を襲っているという複数犯説も浮上した[10][11]。事実、絞殺魔の出現後は、ボストン市内での女性の絞殺事件はすべて絞殺魔によるものと報じられる傾向があり、一連の事件とはまったく別の人物の起こした殺人事件が、事件終息後も絞殺魔の仕業とされているケースも存在している[12]。捜査陣では複数犯説が有力であったが、プロファイリングの先駆者といわれるジェイムズ・A・ブラッセルは唯一、単独犯説を主張した[10]。
- ^ a b c d e f g h i j k l 清原編 2009, pp. 21–23
- ^ Bidgood, Jess (2013年7月11日). “50 Years Later, a Break in a Boston Strangler Case”. The New York Times (New York City: New York Times Company) 2013年10月16日閲覧。
- ^ “Remains unearthed of confessed Boston Strangler”. USA Today. Associated Press (Mclean, Virginia: Gannett Company). (2013年7月12日) 2013年10月13日閲覧。
- ^ DNA confirms Albert DeSalvo's link to 'Boston Strangler' killing of Mary Sullivan: authorities. NY Daily News archive, retrieved October 17, 2015.
- ^ a b 省心書房 1995, pp. 364–367.
- ^ a b c d レーン他 1995, pp. 122–124
- ^ a b c d e f g h 省心書房 1995, pp. 370–375
- ^ a b c d e ウィルソン 1983, pp. 50–51
- ^ 省心書房 1995, p. 387.
- ^ a b c d 省心書房 1995, pp. 378–381
- ^ 越智啓太『犯罪心理学がよ~くわかる本』秀和システム〈Shuwasystem Beginner's Guide Book〉、2009年、144頁。ISBN 978-4-7980-2220-8。
- ^ a b c d e f g h i j k 省心書房 1995, pp. 368–369
- ^ a b c d タイム・ライフ編 1993, pp. 101–105
- ^ a b 省心書房 1995, pp. 385–389
- ^ ウィルソン 1983, p. 52.
- ^ a b c d 省心書房 1995, pp. 392–395
- ^ a b ファイドー 1993, p. 244
- ^ 省心書房 1995, pp. 376–377.
- ^ ファイドー 1993, p. 242.
- ^ “1960年代に全米を震撼させた「ボストン絞殺魔事件」の監督候補にマーク・ロマネク!”. シネマトゥデイ. (2014年1月21日) 2014年9月3日閲覧。
- ^ “ケイシー・アフレックが「ボストン絞殺魔」を題材にした映画を製作!”. シネマトゥデイ. (2012年12月8日) 2014年9月3日閲覧。
- ^ Grobar, Matt (2023年1月3日). “Boston Strangler Premiere Date, First Look: Keira Knightley-Led True-Crime Thriller From 20th Century Studios To Be Accompanied By ABC Audio Podcast”. Deadline Hollywood. 2023年1月3日閲覧。
- ^ “リドリー・スコット製作×キーラ・ナイトレイ主演 連続殺人鬼を追う記者を描く「ボストン・キラー」3月17日から配信”. 映画.com. (2023年2月24日) 2023年2月25日閲覧。
- 1 ボストン絞殺魔事件とは
- 2 ボストン絞殺魔事件の概要
- 3 犯人逮捕
- 4 冤罪説
- 5 影響
- 6 脚注
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