ハローフーヅ
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種類 | 株式会社[1] |
---|---|
略称 | ハローフーヅ |
本社所在地 |
日本 〒458-0021< 愛知県名古屋市緑区滝ノ水3-301 |
設立 | 1957年(昭和32年)11月4日[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット |
代表者 |
代表取締役会長 石田茂之 (コノミヤとの合併直前時点)[3] 代表取締役社長 姫野輝之 (コノミヤとの合併直前時点)[3] |
資本金 |
1000万円 (株式会社丸正鳴子店設立時点)[1] ↓ 12億77万円 (1997年(平成9年)2月期末時点)[1] ↓ 16億8377万円 (2002年(平成14年)2月期末時点)[2] |
従業員数 | 720名 |
外部リンク | ウェブサイト(閉鎖済) |
特記事項:2011年(平成23年)8月1日に[4]コノミヤに吸収合併されて同社東海事業本部となった[5]。 |
愛知県名古屋市緑区本社のハローフーヅ株式会社が経営をしていたが、2011年(平成23年)8月1日に[4]大阪地盤のスーパー・コノミヤに吸収合併されて同社東海事業本部となった[5]。
歴史・概要
1949年(昭和24年)に鳴海町で乾物店を個人創業したのが始まりである[8][2]。
1957年(昭和32年)11月4日に「有限会社丸正」に改組し[1][2]、1965年(昭和40年)9月に資本金1000万円で「株式会社丸正鳴子店」を設立した[8][2]。 同年10月に「合資会社石田」を合併して[1]、同年12月に「株式会社丸正」に商号を変更した[8]。
1970年(昭和45年)5月に「株式会社中部スーパーマーケットチェーン」を設立し[9]、1973年(昭和48年)3月に「ハローフーヅ」を商標登録して店名を統一した[9]。
なお、法人名としての「ハローフーヅ」は、1977年(昭和52年)8月に生鮮食品の加工・卸を行う関連会社として設立した「(初代)株式会社ハローフーヅ」が当社より先に使用している[9]。
1979年(昭和54年)7月に額面変更の目的で「(2代目)株式会社ハローフーヅ」(1948年(昭和23年)9月設立)に合併し、当社が法人名としての「ハローフーヅ」を用いるようになった[8]。
1980年(昭和55年)11月に「大蒲店」を改装して「ピックワン北店」として新装開店し、小型ディスカウントストアのチェーン展開を開始した[10]。
その後、1985年(昭和60年)12月に「緑開発株式会社」、1990年(平成2年)1月に「東海ピーコック株式会社」を合併している[8][2]。
1997年(平成9年)2月期末時点ではスーパーマーケット27店とディスカウントストア11店の合計38店舗を運営していた[1]。
その後、2002年(平成14年)2月期末時点で合計33店舗[2]と減少したが、2008年(平成20年)9月時点でスーパーマーケット28店とディスカウントストア8店の合計36店舗となっていた[11]。
しかし、業績の悪化に伴ってリサ・パートナーズが設立した投資ファンドから[12]2008年(平成20年)6月に出資を受け[11]、同年にディスカウント店7店を同業のドン・キホーテに売却することを決定すると共に同年10月に4店舗を閉鎖するなど[11]、事業再建を進めることになって店舗網を再編[12]、2011年(平成23年)6月期末時点で食品スーパー25店舗となった[7]。
再建策が一段落したことから、2010年(平成22年)11月に金融機関を通して事業統合を打診[4]。
2011年(平成23年)4月7日にコノミヤが当社との経営統合で合意したと発表し[6]、同年7月7日にリサ・パートナーズからハローフーヅの全株式を取得して[4]、同年8月1日に[4]コノミヤに吸収合併されて同社東海事業本部となった[5]。
この経営統合に伴い元社長で[1]会長を務めていた石田茂之は当社を退任する[3]と共に、CGCグループの東海地区法人「東海シジシー」の会長も2011年(平成23年)5月7日に退任した[13]。
また、コノミヤとの合併直前には全店舗の3分の2で24時間営業を行っていたが、効率化の観点から廃止されることになった[3]。
年表
- 1949年(昭和24年) - 鳴海町で乾物店を個人創業[8][2]。
- 1957年(昭和32年)11月4日 - 「有限会社丸正」に改組[1][2]。
- 1965年(昭和40年)
- 1970年(昭和45年)5月 - 「株式会社中部スーパーマーケットチェーン」を設立[9]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 「ハローフーヅ」を商標登録し、店名を統一[9]。
- 1977年(昭和52年)8月 - 「(初代)株式会社ハローフーヅ」(生鲜食品の加工・卸)を設立[9]。
- 1979年(昭和54年)7月 - 額面変更の目的で「(2代目)株式会社ハローフーヅ」(1948年(昭和23年)9月設立)に合併[8]。
- 1980年(昭和55年)11月 - 「ピックワン北店」を開店し、小型ディスカウントストアのチェーン展開を開始[10]。
- 1985年(昭和60年)12月 - 「緑開発株式会社」を合併[8][2]。
- 1990年(平成2年)1月 - 「東海ピーコック株式会社」を合併[8][2]。
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)
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- ^ a b c “コノミヤ、ハローフーヅと7月めどに経営統合で合意”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2011年4月13日)
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