ジュンガル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 01:14 UTC 版)
歴代君主
ジュンガルの歴代君主はモンゴルにおいて副王の意味であったホンタイジ(語源は皇太子)号を採用し、チベットのダライ・ラマから授与されることで即位とした。ジュンガルがホンタイジ号を使用したことで、ホンタイジの意味は副王からオイラトの盟主を指す意味にもなった[38]。
名 | 称号 | 在位 | 続柄 |
---|---|---|---|
ホトゴチン | バートル・ホンタイジ | 1637年-1653年 | ハラフラの子 |
センゲ | ホンタイジ | 1653年-1670年 | ホトゴチンの子 |
ガルダン | ホンタイジ、ボショクト・ハーン | 1671年-1678年(1678年から1697年までハーン) | センゲの弟 |
ツェワンラブタン (ᠼᠧᠸᠠᠩ ᠠᠷᠠᠪᠲᠠᠨ) | エルデニ・ジョリクト・ホンタイジ | 1697年-1727年 | センゲの子 |
ガルダンツェリン | ホンタイジ | 1727年-1745年 | ツェワンラブタンの子 |
ツェワンドルジ・ナムジャル | ホンタイジ | 1745年-1750年 | ガルダンツェリンの次男 |
ラマダルジャー | ホンタイジ | 1750年-1752年 | ガルダンツェリンの次男 |
ダワチ | ホンタイジ | 1752年-1755年 | ホトゴチンの玄孫 |
参考文献
- 護雅夫・岡田英弘編『民族の世界史4 中央ユーラシアの世界』(山川出版社、1990年、ISBN 4634440407)
- 宮脇淳子『最後の遊牧帝国 ジューンガル部の興亡』(講談社選書メチエ、1995年、ISBN 4062580411)
- 宮脇淳子『モンゴルの歴史 遊牧民の誕生からモンゴル国まで』(刀水書房、2002年、ISBN 4887082444)
- 小松久男編『世界各国史4 中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
- 今谷明『中国の火薬庫—新疆ウイグル自治区の近代史』集英社、2000年。
関連項目
- ^ 宮脇 2002,p188
- ^ 宮脇 2002,p191
- ^ a b 宮脇 2002,p212
- ^ 護・岡田 1990,p369
- ^ 宮脇 2002,p190
- ^ この「アルタン・ハーン」はハルハ部の称号であり、16世紀のダヤン・ハーンの孫のアルタン・ハーンではなく、ウバシ・ホンタイジを指す。
- ^ 初め、宮脇淳子はこの「留まった者たち」の意味を「西モンゴル高原に留まったため」と推測したが、赤坂恒明が「イスラーム教に改宗した西のテュルク人が改宗しなかった東のオイラト人を指して言った用語である」という記録を紹介したため、こちらの説をとるようになった。
- ^ 宮脇2002,p191
- ^ 宮脇2002,p193
- ^ 宮脇2002,p195-196
- ^ a b 宮脇2002,p197
- ^ 宮脇2002,p197-198
- ^ a b c d e 今谷2000,74頁
- ^ 宮脇2002,p200
- ^ 宮脇2002,p201
- ^ 今谷77頁。羽田明『中央アジア史研究』臨川書店1982年
- ^ 岡田英弘『読む年表 中国の歴史』ワック、2012
- ^ 宮脇2002,p202
- ^ 漢文史料のいう服毒自殺は誤り。《宮脇p203》
- ^ 今谷77頁
- ^ 宮脇2002,p203
- ^ 今谷78-9頁
- ^ 羽田明「明末清初の東トルキスタン」『東洋史研究』7巻3号
- ^ 今谷79頁。矢野仁一『近代支那史』弘文堂,1925年
- ^ 今谷79-80頁
- ^ a b c 今谷80頁
- ^ 宮脇2002,p204-205
- ^ 今谷80-81頁
- ^ 今谷81頁
- ^ 宮脇2002,p205
- ^ 宮脇2002,p206
- ^ 宮脇2002,p207
- ^ 宮脇2002,p210
- ^ 宮脇2002,p210-211
- ^ 宮脇2002,p211
- ^ 宮脇2002,p208-209
- ^ a b 宮脇2002,p208
- ^ 宮脇 2002,p196-197
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